日御子
見開きに2〜3世紀頃の倭国想像図がある。
那国、伊都国がある。末浦国、遠賀国、吉野国、求奈国、弥摩太国がある。このランドスケープに一気に引き込まれる。
実際にも、志賀島からの陸への眺望あるいは糸島から宗像にかけての山からのロケーションは古代史学者(村)の既得権争いとは無縁にいわゆる邪馬台国がどのあたりにあったかが実感させられる。
冒頭に、那国王が志賀島に金印を埋めた経緯が記されている。
そして、この物語で重要な役割を受け持つ使譯(通訳)としてのあずみ、阿住、安澄、安住、安潜、阿曇の由来についても。
全国の綿津見神社の総本山である志賀海神社は代々阿曇氏が祭祀を司る。
使譯の灰が伊都国からの使いにより那国から伊都国へ旅する行程の描写は陳寿の水行、陸行のような臨場感に満ちている。
石器、青銅器、鉄器と変遷する時代でありそれに伴う激動の時代でもあった。
朝貢品としての生口にしても奴隷などというものではなく親のいない子どもを探し出し王城の中で手厚く育て上げた者たちであった。
倭人が漢人、韓人と違うのは、文身(入墨)であった。
那国から伽耶、楽浪郡を経て後漢の首都洛陽に行く旅程は波乱万丈である。この小説の後半からは後漢、魏、三韓も密接にからむ倭国大乱となる。
使譯たちの目を通して、ということは生活感覚溢れた筆致で倭国2〜3世紀の歴史が活写されていて内容は濃く十二分に満足できる。著者は福岡生まれである。
最後に、使譯一族に伝わる四つの教えというのがある。今は、こういう考えは珍しくなった。
.人を裏切らない。
.人を恨まず、戦いを挑まない。
.良い習慣は、人を変える。
.骨休めは、仕事と仕事の転換にある。
そして、このことはこの小説の通奏低音でもある。
水神(下) (新潮文庫)
九州、筑後川沿いの貧しい農村に水を引くための堰を築く庄屋達の苦労を描いた歴史小説。土地が、川の水面より高いため、農業用の水さえ川の水を汲んでいるような農村では、よい米どころか、稗や粟でさえも作るのが難しい。筑後川のような大きな川を堰き止め水を引くのは、とてつもない大工事で、財政の苦しい藩も簡単には動かない。農民苦しい状況を改善するため、命がけで立ち上がった5人の庄屋を、農民、武士、商人達が支えて取り組んでいく。貧しい農民達の姿や庄屋達の並々ならぬ熱意とそれを一生懸命支える老侍の描写は鮮明で、普段小説は読まない私も感動させられた。
水神(上) (新潮文庫)
田舎に行けば大きな川の側には、ひっそりと石碑に刻まれて、水神様が祭られている。今まで水害から村の暮らしを守るために、人が神頼みをしているものだと思っていた。間違いではないだろうが、この本を読んで、本当は治水工事などをした昔の名もなき人々、その一人ひとりがまさに水神と呼ばれるのにふさわしいのだと感じた。
筑後川に堰を作って水を引くことを決意した4人の庄屋、地方藩の郡代である下級武士、工事に携わった百姓、それら大勢の人々の苦闘と栄光を描いた傑作である。人のために生きる、生活を捧げるという行為が、現代を生きる我々の生き方に一石を投じる。流されるなよ。何が人間にとって大切なことなのか、我々は問われるはずである。
蛇足だが、本書に数々出てくる昔の料理の描写がなんとも旨そうで、匂いや舌触りが感じられて、付け加えずにはいられなかった。