製鉄遺跡についての教養本というものは、今までほとんど出版さていないと思う。この本の巻末参考文献を見ると、すべて発掘報告書か専門書だけなのがそれを示しているだろう。専門書を読んでたたら製鉄とは何だったのか知るのは非常に難しいと思う。古墳とは違い、実測図や発掘中の写真を見ても、当時どういう形で、どういう製鉄をしていたのか分かりにくいからである。この本の記述はそれらと比べると記述も専門用語を出来うる限り排除し、非常に分かりやすい。ただ出来るなら現地にいって復元遺跡か、ジオラマを見ることをお勧めする。 古代を考える場合は『製鉄』というものが最大のキーポイントになる。特に弥生から古墳時代にかけては『鉄』をめぐって、ダイナミックにクニが動いた(私の考えでは吉備は東遷したのだからまさに文字通りクニが動いたのである。)のだから、この遺跡を理解することが最も重要なのである。昔から吉備の地は枕言葉で「まがね吹く」と詠われてきた。『まがね』という以上、単なる鉄の加工ではない、おそらく当時のクニグニで初めて『製鉄』に成功したのがこの地域であったのだろうと私は思う。実際現在日本で最古級の千引カナクロ谷遺跡は吉備北に位置している。ただ私は6Cが最古だとは思わない。きっと弥生時代にこの吉備地方で『製鉄』は始まったはずだ。この本を読みながら、この本に書いていないことをしきりに考えた。
ひたすら魅力的で、ひたすら不可解なロシア。それは私にとってソ連時代の「戦艦ポチョムキン」や「罪と罰」などのモノクロ映画の世界そのもの。感動はするけれど、そこは完全な別世界で、自分の感性では納得しきれない。『都市と芸術の「ロシア」』は、そんな私にとってのモノクロの世界に鮮やかな色彩をつけてくれた。この本を読んだおかげですこしロシアが私に近づいた。 編集者の意向を無視し、まずは陰影の多いペテルブルグは後回しにしてオデッサから読み始めるといい。文学世界に体現された太陽と生命の都市の情熱の余韻を身に纏いつつ、湿った冷ややかなペテルブルグやモスクワの奥深い襞の中--文学、映画や演劇やテルミンの摩訶不思議の世界に歩みを進めよう。眩暈と思索の散策になること間違いなし。
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