著者によると、ドイツ代表が光り輝いていたのは1954年、ヘルベルガー監督率いるチームが無敵のマジャールを破った「ベルンの奇跡」だけで、ヘルベルガーの後を引き継いで1974年の自国開催の大会で優勝に導いたシェーンは、優勝分配金をめぐる選手たちとドイツサッカー協会(DFB)のみにくいやりとりにイヤ気をさして大会中に監督辞任を申し出たほどだったし、準優勝した1982年の準決勝でフランス相手に延長戦で2点差をつけられながら追いついたチームは、対オーストリア戦での談合試合で「勝てばいいのか」という傲慢さをみせつけたとして自国では歓迎されなかったという。さらには、代表史上4人目の名誉主将に選ばれたマテウスに至っては、便器に向かって話せとチームメイトから嫌われる自己顕示欲だけが強いトンデモ選手として描かれている。 結局、筆者が言いたかったのは、ベルンの奇跡以降のドイツ代表には戦前の傲慢で不遜なイメージが復活してきている、ということなんだと思う。しかし、ドイツがドイツとして復活できたのは、ベルンの奇跡があったからだ。それまで「自尊心であれ、愛国心であれ、底抜けの喜びであれ、すべて禁じられ」(p.206)「行きすぎてしまうことに対する恐れ、おごりに対する恐れ」(p.208)にとらわれていたドイツ国民の感情を解き放ったのが、ヘルベルガーのチームだったのだ。なにせ、スイスワールドカップの予選を西ドイツ代表は、FIFAに加盟申請して認められたフランスにほど近いザールラントを相手に戦っていたぐらい国が分裂していたのだから。
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