小学生の子どもがおもしろそうな子ども向けクラッシックコンサートがあると。連れて行かれて感動したコンサートに出演されていたのが遠藤真理さん。演歌、ジャズ、フォーク、音楽ならなんでも好きな私だけれど、なかなかクラッシックのCDには手が伸びなくて。
遠藤真理さんの生演奏と、その場でのお話など聴いていると、あぁこの人の音楽CD聴いてみたいなぁと。子ども相手のコンサート、と言ったら一昔まえの大人感覚なら、真摯にするひといたでしょうか、、、と。それが、ちゃうんです遠藤さん、真剣なんやなぁと伝わりました。
人となりが音楽には出るではないですか。素敵な演奏で、子どもと楽しんでます。あぁ、龍馬伝の演奏もしてはったんやぁ、この曲ええ感じやん、なんて言ってます。音楽との出会いは楽しいもんですね。「だから音を楽しむんだね」と子どもが言ってます。
自分の気づけなかった自分、潜在意識の中にあるものに気づかせてくれて、前向きに考え行動できるようにしてくれる本です。大切なことなのに、忙しくてついつい忘れがちなことや現実逃避をしたくて後回しにしていたものに気づかせてくれます。やる気と希望を与えてくれる本です。
一見支離滅裂な選曲だが、通して聴いてみるとこれが予想外にいいのだ。それぞれの曲が、このアルバムのために用意されたかのような、錯覚さえ起こしてしまうほどだ。いい意味で上質なロックやポップスのアルバムのように、練りに練られた選曲と絶妙な配置なのだ。1曲目のアイルランド民謡「サリー・ガーデン」からラストの聖歌「アメイジング・グレイス」までの間に、バッハ、ドヴォルザーク、フォーレ、サン・サーンス、ショパン、シューマン、ラフマニノフの名曲が並ぶ。特に、2曲目にバッハの「無伴奏チェロ」をもってきたところなど、ぶったまげてしまった。アイルランド民謡からバッハに繋ぐなんて何と大胆不敵な選曲(もしかしたら何も考えていないのかも。「無伴奏チェロ」は、遠藤さんがやりたいっていったのかもしれないな)。
その「無伴奏チェロ」だが、とても速い奏法でぐいぐい弾いていく。かといってテクニックだけの潤いのないものではない。変な思い込みを排除した、遠藤真理ならではの明るく楽しい響きなのだ。無伴奏チェロが大好きで大好きで仕方がないといったような、彼女の気持ちが自然に表れているように思えた(もちろんこれは想像ですが)。
因みに、私の所有しているその他のCDと演奏時間を比較してみた。一番速かったのが、古典的名盤、パブロカルザス(1938年録音)の16分5秒だ。遠藤真理は第2位の17分37秒。3位はヨーヨーマ(1996年録音)の18分54秒。一番遅かったのがピエール・ビルスマ(1976年録音)の19分7秒だった。私の持っているCDだけでの比較なので、はっきりとしたことがいえないが、彼女の演奏がかなり速い部類に入ることは間違いない。営業的に難しいかもしれないが、遠藤真理さんに「無伴奏チェロ組曲(全曲)」を録音してほしいと心から思ってしまった。実現したら、ぼくは買います!
本書の帯に高橋巌氏による紹介文があります。
「14世紀、ヨーロッパ中世の秋の、聖性と犯罪と性愛が紙一重の濃密な宗教生活の中で、正統と異端、神秘主義と唯名論、教皇派と皇帝派、さまざまな葛藤、対立が熱い渦をなして、人びとの魂をのみこんでいく。そういう時代を背景に、神的合一を求める少女を中心にして展開するスリラー仕立ての物語りの奥深さには、ただただ圧倒されるばかり。夢中で読みおえた。 美学者 高橋 巌」
まさにこの通りなのですが、本書の魅力について少し付言します。まず、時代小説としての面白さです。ゾイゼ、オッカムといった登場人物を通して当時のヨーロッパの精神、政治世界で演じられた命をかけた確執、争いが見えてきます。フランスのフィッリプ王により殲滅させられた聖堂騎士団の顛末、神秘主義者エックハルトの人びとの意識に映じた形姿などは特に印象深いところです。
日本の宗教伝統とはかなり異なる当時の霊的生活の描写は啓発的であると同時に刺激的です。鞭打ちなどをもって修行する当時の修道僧、神との合一を求める少女エルスベトの告白などは、読者に新鮮な角度からヨーロッパの霊性に触れる機会を与えます。
彼女の体験は性体験なのか、神秘体験なのか、それとも両者を超えたものなのか?読者はそんな問を抱きながらこの緊迫したストーリーの中に引き込まれていきます。
特に騎乗位モノが好きでも無かったのですが
一気にこのジャンルと、艶堂しほりさんのファンになっちゃいました。
艶堂しほりさんのマジイキと、
騎乗位ズッボズボは、
私的に殿堂入りです。
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