指揮のバウムガルトナーは、ヴァイオリニストのシュナイダーハンの高弟で
バッハの解釈に定評があった。ブランデンブルクの名演奏は意外に少ない。
その中でひときわ優れたものが、このルツェルン音楽祭合奏団のCD。
もともとはドイツ・アルヒーフのLPで出ていたもの。
往年の名トランペット奏者のルドルフ・シェルバウムが聴ける。戦前のブランデンブルク
協奏曲では金管楽器の音量が大きくなり過ぎるのが難点であった。バッハ・トランペットの
難しいパッセージを吹きこなせたのが、唯一シェルバウムだった。モーリス・アンドレ等の奏者が
出現するまでの間、シェルバウムはヨーロッパ各国で引っ張りだこの多忙な活躍だったと言われた。
そうした当時の一流の奏者たちの競演が聴け、バランスの良いのがこの演奏だった。
かつてはカークパトリックのバッハはモダンチェンバロによる録音が多数入手できたそうだが、モダンチェンバロが顧みられなくなった現在ではカークパトリックの演奏自体も忘れられてしまう危険がある。 このバッハの平均律はクラヴィコードによる演奏である。カークパットリックの独特の粋な歌いまわしが十二分に堪能できる。何度聴いていても飽きることがない。第2集も発売されており、そちらも当然お薦めである。
ラルフ・カークパトリックは、アメリカの音楽学者で、その研究の実践として鍵盤楽器の演奏家をやっていた人であった。 その演奏技法の多くは、当時の大家であったワンダ・ランドフスカに学んだが、ランドフスカの恣意的な解釈に反対し、より厳密な考証と解釈を、自分の演奏に求めたのであった。
この録音でカークパトリックが演奏楽器に選んだのは、クラヴィコードである。 チェンバロよりも音が小さく、ちょっとしたタッチ圧の違いでも音の質が変わってしまう、非常にデリケートな楽器だ。 クラヴィコードは、バッハが生きていた頃、オルガニストの自宅での修練用の楽器として用いられていた。類稀なるオルガニストだったバッハであれば、この楽器を常備していたに違いないと、カークパトリックは考えた。 そうであるならば、この平均律クラヴィーア曲集も、クラヴィコードが不適当とする謂れはなく、敢えて演奏の難しいクラヴィコードで、カークパトリックは演奏に挑戦したのであった。
ここで演奏される第2巻は、息子たちへの教材としてというよりも、自分の表現欲求を満たすために編まれた作品集であり、教材としての第1巻よりも難易度は高い。 微妙な指のタッチで、細心の注意を払いながら、細い絹糸のような音で編み上げていくフーガの妙技は、今聴いても感嘆するに足る価値を持っている。 それぞれの曲のテクスチュアは、音のか細さの向こう側でしっかりと構築されており、カークパトリックの用意周到な解釈には頭が下がる。
今日では、カークパトリック以上の技で以て、より精妙な演奏を行う人も出てきたが、研究資料が今ほど揃わない中で、これだけのことをしたカークパトリックの業績は、一笑に付すことは出来ないであろう。 確かに、録音状態など、様々な点で、新しい録音と比べると部の悪い点もあるのだが、カークパトリックの本録音から得られるものは、未だ少なくない。
ハンスマルティンリンデの透き通る様な美しいリコーダーが出色です! リンデが参加しているブランデンブルクは沢山有りますが、これはその中でも、リンデの音を最も美しく録音したものだと思います。それを聴くだけでも価値のあるCDだと思います。
この曲には2段チェンバロで弾くことを前提にした変奏があり、原典版をそのままピアノで弾くと難しい手の交差が起こって苦労します。この版は、そのような交差の起こる場面では左右の手に対する音符を再配置して弾きやすくした楽譜を原典譜と併置してあるのが最大のポイントです。左右の手への音符の振り分けを再考したい場合は、この楽譜を見ることをおすすめします。 あと難しいのが装飾音だと思いますが、この版は装飾音に対する解説が豊富で、複雑な場合はすかさず別に譜面が出てきて「こういう風に弾くとうまくハマります」というアドバイスが付きます。その他、フレージングやテンポなどの解説も非常に充実しているのです。 最後に、唯一かつ最大の欠点が運指です。なんとこの楽譜には運指がまったく書かれていません。そのため運指を見るためだけにウィーン原典版を購入しなければなりません。運指以外はほとんどパーフェクトな内容だけに惜しいです。
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