詳しいタブ譜で大満足です、現在鋭意練習中です。 今の若い人にもオススメです。 以上です。
‘2010年9月19日、福井市美山「楽く楽く亭」金木犀コンサートに行きますと、良さんが、六三とは、思えない若々しい姿で、夕焼けに暮れ行く外に居た。 年輪か、人のやわらかさを蓄えて、挨拶に応じてくれた。 この日プロポーズや、駒沢あたりで中心の、アコースチックな曲調で心に染み込む声を聴かせてくれました。 「ゴスペルー嘘でもいいからー」、それに「誕生日」、・・・すごい詩まで聴かしてくれた。 これが、プロポーズに、追加されているのです。 GREENWOOD/RECORDS・有難うございました。・・・
できれば、さらに夢が脹らんで、テレビのゴールデンタイムに2時間「加川良ライブ」の企画放映を、と、願うものです。
2005年4月16日、高田渡氏、56歳で逝去。 50歳の僕は、兄か仲のいい従兄弟が逝ってしまったような気がした。結局、朝まで、バーボン飲みながら、お通夜と称してCDを聴き、明け方、プレーヤーを出してLPを聴いた。 「系図」は、今でなら、大騒ぎになりそうなレコード会社移転の後の作品。この後、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、小室等の「フォーライフレコード」設立が大騒ぎになったことを考えると、この作品は、もっと大騒ぎされてもよかったのでは・・・・と個人的に思う。 フォーライフレコードに言った連中は、今でも好きだし、支持してるけど、彼らが、その出発点と違って、やたらメジャーになったことが腹立たしく思ったりもした記憶がある。 この一連のマニアリストで記載したけれども、日本の「フォーク」は、フォークソングでもなければ、「フォークロック」の「フォーク」とも違う極めて特殊なジャンルであった。 高田渡は、昭和40年代から時代の変化とか、社会情勢の変化と無関係に愚直に、このジャンルを守った。彼に時代の変化を感じ取る感覚がなかったとは思われない。 彼の、ポリシー。アイデンティティーだろう。 こういう男が居たこと、こういう男とほとんど同時代を過ごせたことを感謝したい。
今は亡き高田渡さんに逢う為にこの映画を見る。まずはこの映画を撮ってくれた人達に感謝をしたい。ありがとうございます。しかし、特典映像に一点だけ許せないシーンがあって、それは渡さんに「撮っても良いよ」と言わせてしまうシーンだ。見ていてこちらが謝りたくなるような心苦しさを感じる。寝姿を何度も撮って何がしたいのか、本当に下品で恥ずべき事だと思う。最後に心残りなのは特典映像の中で渡さんが話していたアルバムが実現していたらということ。そしてこの映画を見た人達が、それぞれのタカダワタル的を育んで行って欲しいと願う。
早く、気持ち良い対応でした。これからも機会があればよろしくお願いします。
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