イーブル・ノートという題名よりも英語題名のイーブル・アイの方が映画の内容に合っている。35年前の殺人事件を題材に映画脚本を書く主人公、そして周りで起こる惨劇。
ただ、どうして依頼人が35年も脚本依頼を待つのかが不明だし、そもそもどうしてこんなことが始まったのかも不明だが、たんたんと事故は続いていく。
どこかで見たようなよくある話で、もう少し内容にひねりがほしいと思った。
ストーリーが単純すぎて、ちょっと退屈。
クリストファー・リーによる「吸血鬼ドラキュラ」シリーズが完全に失速する一方、 シェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」を原作とする「カーミラ3部作」はホラーにエロティシズムを加えた新感覚の吸血鬼映画としてハマー・プロが力を入れていた。 但し、この最終章ではカーミラは全くの添え物。つまり原作とは何の関係もないハマー・プロのオリジナル作品と言う訳である。 まぁほぼ同時期に製作された「ドラキュラ'72」や「新ドラキュラ/悪魔の儀式」辺りと比べると今作の方が面白い。
脚本はハッキリ言ってご都合主義丸出し。 その最たる点が吸血鬼に対する十字架の捉え方。 冒頭、グスタフ(ピーター・カッシング)が魔女狩りと称し村の美女を火炙りにしようとする時、美女が首にぶら下げた十字架を翳し 『魔女なんかじゃないわ。お願い止めて』と懇願するのに、十字架を引きちぎって素知らぬ顔をする。 しかしマリアが火炙りにされようとした時にマリアに十字架を翳してみると平気だったので、吸血鬼ではないと判断するグスタフ。 まさか話の途中で魔女狩りから吸血鬼狩りにグスタフが宗旨変えした訳でもあるまいし。 そもそも有らぬ疑いを懸けられて火炙りにされていった女性達は結局無実であった事が後に立証されながら、 殺戮の限りを尽くしたグスタフには何のお咎めもないのだからマカロニウェスタンじゃあるまいし、荒唐無稽と言われても致し方ないだろう。 それとバリー・ロビンソンが担当した音楽だが、ドラムの刻むリズムがまるで西部劇の音楽のようで興醒め。 何方のレビューもこの事に触れていませんが、映画における音楽は重大要素の一つ。こんなBGMでは恐怖感が募られる訳が無い。 ここは未だご健在の名匠ジェームズ・バーナードに任せるべきだったのでは。
上記の点に目を瞑ればスピーディなストーリー展開とエロティックなシーンも含めた豊富な見せ場で観る者を退屈させない事は確か。 それと付け加えなければいけないのはピーター・カッシングのいつにもましての鬼気迫る演技でしょう。 どの作品でも渋い演技と老体鞭打っての軽快なアクションを見せてくれるピーターですが、今作では悪玉すれすれの善玉役を熱演しております。 もう一つ付け加えるとすればプレイメイト出身のコリンソン姉妹のピチピチのエロ度でしょうか。 オッパイポロリんは当然の事ながら透け透けネグリジェでウロウロされては観てる方は堪りません。 但し、イングリッド・ピットの熟れたエロ度には到底敵いませんが...
高校時代ライブ盤の「暗い部屋」「時の魔法」「大都会の羊飼い」「一本の煙草」「学生街の喫茶店」コピーして学園祭でやりました。畑、笠松、土屋生きてるか?このライブ盤もCD化されとるとは知らんかった。ラストアルバムの「夜間飛行機」も好きな曲ですが、CD化されるなんて期待してませんでした。10年前にもCD化されたそうですが完全に見逃してました。今回もあやうく・・・タワー・レコードではすでに入手不能でした。手に入ってほんとに感激です。日本のCSN&Yとか言われてますけど本家よりGAROの方が断然好きです。
近年ソフトウェアプロジェクトマネージメントに関する本が多数出版されているが、この本を読むと、それらの著者方々は一体どれくらい実際の経験をお持ちなのだろう?、と問いかけたくなってしまう。 理論は勿論重要であるが、実際にinvolveされるのは生身の人間である。この本は、Windows NTという、ソフトウェアでも最も複雑なオペレーティングシステム(OS)の開発物語であり、ソフトウェア開発の現場の悲惨さ(?)が見事に再現されている。 今の流行はCMMやPMBOKであろうが、それらの机上の理解と平行して本書を読み、理論と現実のギャップを是非味わってもらいたい。 しかし、歴史は繰り返されるのか。主役のカトラー氏はDECでVMSという、私見では史上最も素晴らしいOSを開発したが、UNIXの登場によりDECを去り、Microsoftに移りNTを開発した。それが現在またLinuxにその座を脅かされることになろうとは!
Breadの中心メンバーDavid Gatesの、1978年のソロ第3弾アルバム(既発曲含む)です。 昔からのDavid Gates大ファンとしては、リリース当時はちょっとがっかりものでした。いやいやアルバムの出来ではなく、 全部新曲ではなかった事に・・・です。
映画「グッバイガール」のためのタイトル曲は、もちろん彼らしい素晴らしい曲ですが、このアルバムには既に発表され ていた2枚のソロ・アルバムからの曲が約半数収めされていたのでした。映画の曲を依頼されて全部新曲を制作する時間 的余裕がなかったのか、もしくはミニベスト的にしてソロ転向後あまり芳しくなかったセールスを伸ばす意図があったの か・・・?その真意は不明ですが、ずっとDavidを追い求めていた自分としては、全部新曲ではなかった事に当時はちょ っとがっかりした覚えがあります。
もっとも、内容的には彼のソロ最大のヒット曲や、2枚のソロ・アルバムのハイライト曲も聴けますので、特段彼のファン でない方には普通にお勧め出来る佳いアルバムです。ジャケットも、AOR時代の流れに沿った感じでとてもいい感じです。 タイトル曲は、映画ではかなりエディットされていましたので、是非このアルバムでフルで聴いてみて下さい。
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