第一の消費社会は1912年〜1941年。
日清、日露戦争に勝ち、第一次対戦の戦時需要で日本は好景気に沸いたp.14 大都市の人口が増加したために、大都市部では消費が拡大し、昭和初期にかけて大都市に大衆消費社会が誕生することになる。これが第一の消費社会である。p.15
第二の消費社会は1945年〜1974年 1929年の大恐慌、戦中、戦後の耐乏生活を経て、日本は復興を遂げ、そして高度経済成長期が訪れる。p.18
第一の消費社会では、その消費を享受するのは都市部の中流階級以上に限られており、他の多くの国民は貧困にあえいでいた。言い換えれば、第一の消費社会は「消費格差」という矛盾を孕んでいたのであり、その矛盾を解決し、全国のより多くの国民に消費を享受する機会をもたらしたのが、第二の消費社会であったといえる。 第二の消費社会においては、本格的な近代工業化の進展によって、生活の隅々にわたって大量生産品が普及していった。p.21
第三の消費社会は「1975年から2004年の丸三十年間p.31」 低成長、マイナス成長の時代であり、「この時代の特徴は、・・・・消費の単位が家族から個人へと変化し始めたことp.28」
第四の消費社会は「2005年から34丸三十年間p.31」 「98年から自殺者が増加し、今日に至るまで毎年三万人以上の自殺者を記録している。p.29」 「生産年齢人口」1995年をピークに以後減少し始めた。・・・人口自体が2007年をピークに以後減少し始めたp.30」
第一の消費社会から第二の消費社会への変遷により、消費は都市部より地方へ、中流階級より大衆へ拡大し、第三の消費社会において消費の単位は家族から個人へと変化して、消費は個人化・高級化した。
しかし、生まれた時から豊かな時代に育った団塊の世代ジュニアによって、消費のために物を追いかける時代は終わり、「第四の消費社会においては、言いp.226換えれば消費社会が最終的に成熟していく段階においては、物自体の所有に満足を求める傾向は弱まって、人とのつながりに対する充足を求める傾向が強まること、物は、人とのつながりをつくるための手段に過ぎなくなるだろうp.226」
こうして、分かち合い、つながっていくことが消費の目的となっていくと著者は言う。
著者の「消費の流れ」の予想によると、グローバル化、市場化の影響により、格差は拡大し、貧困層は増加していく。そして、人口の減少により経済は間違いなく縮小の方向へ向かっていくはずだ。その中で、若者たちはつながりを作って助け合い分かち合って生きていくのだろうか。
「第四の消費社会」が貧しい若者たちのセーフティネットとなっていくことを祈るのみである。政策的にも経済回復一辺倒よりも、消費の流れに沿ったたつながりのある社会づくりを進めていく時代になってきたのではないだろうか。
「下流社会」により、社会の見方における新たな視点を提供した著者による、「消費」の在り方の変化による社会の転換を示唆したこの著書は、すでに多くの識者が引用する必読文献になってきている。内容も非常におもしろくおすすめである。
最後のセゾングループを作り上げた辻井清氏との対談が非常におもしろい。「経済界のえらいさんは自分が成功してきた過去の社会にとらわれているから、新しい動きなど見たくない人たちでトレンドなんか絶対に読めない」と指折級の成功者である財界人の辻井氏自身が語っている。すべてのサラリーマンはこれを心しておくべきだろう。つまり、大企業であるほど、トップは時代の流れが読めないということである。
トヨタグループの資本100%のマーケティング会社が、 「エシカル」に特化した調査研究を 報告しているような内容の本です。
本書は次の全7章から構成されています。 1、「エシカル時代」到来の実感 2、エシカルとは何か? 3、エシカルのポテンシャル 4、エシカルでビジネスを行うということ 5、エシカル消費最前線 6、エシカル消費の傾向と対策 7、エシカルの普遍化に向けて
書店で開いたページが第5章の「エシカル消費最前線」でした。 興味がある分野だったエシカルという言葉に惹かれたこと、 初版が2012/3/16だったことで、 エシカルの現状を知れるのではとの期待で購入しましたが、 私にとっては、期待はずれでした。
例えば第一章、「エシカル時代」到来の実感。 現代の若者が社会貢献をカッコイイと感じている 実例を紹介している項があります。 ここでは、著者は自分たちの80年代と比較して 次のように結んでいます。
『1980年代、尾崎豊さんは、バイクを盗み、 学校の窓ガラスを壊すと歌い、当時の若者の支持を集めた。 その息子の尾崎裕哉さん(1989年生まれ)は、 「人種・貧困・環境などの 社会問題を【音楽】という手段で解決した。 21世紀、若者の特権だった「反抗」は、 世の中を良い方向への変えて行く「貢献」と 姿を変えたというのは言いすぎだろうか? 』
言いすぎだと強く感じました。 少数派に焦点を当てて時代の多数派のように表現するのは、 行き過ぎているように感じるからです。 同じような表現は他にもありました。
例えば第2章で寄付について書いてある項もそうです。
『古来からある陰徳の美という言葉にも表れているように、 あえて人目につかないような善行をよしとしてきた』
上記は、日本に寄付文化が、 浸透しない特徴の一つとして説明されています。 しかし浸透しない特徴はもっと複雑で、 お返し文化のような日本特有の理由がいくつもある。
結びつく理由を一つ取り上げて結論付ける考察には、 偏りや狭窄といった、危うさを感じずにはいれません。 自分たちが着地したい結論がすでにあり、 そこへ向けて調査内容の一部を結び付けているような雰囲気です。
他にも、アメリカと日本の世帯あたりの寄付額の格差理由を
『宗教観、社会意識、税制の違いに起因すると考えられる』
そんな風に紹介していますが、ここは情報元が不明です。 本書の中では具体的な数字を出して、 アメリカと日本の寄付額を数字で比較しているにも関わらずです。 もし理由があって情報源を明かせないなら、 そもそも出版という姿勢は避けるべきだとも思う。
本全体的に、エシカルはいいこと、みんなも実践しよう! というメッセージが強いです。 3日間の海外ツアー旅行から帰ってきた友達に、 日本のダメさ加減を懇々と説明されているような、 耳障りな違和感が最後まで付きまといました。 もちろん、個人見解ですが。
第5章の「エシカル消費最前線」では 日本での現状が紹介されていて参考になりましたが、 買わなくても良かったという印象です。 社会人の方には、とても偏ったイメージを刷り込むことになるので、 この本は相応しくないとも思う。
あなたが学生で、これから社会へ出て行く、 という立場なら参考になる点は多いと思います。 本の中で紹介されている活動、価値観が存在するのは事実ですし、 理想や自分なりの思想を培うのにも少しは役立つと思うからです。
ボランティア、エコ、ロハス、 オーガニック、フェアトレード、プロボノ、、、。 似たような表現や活動なども一緒くたに紹介されているので、 エシカルを知りたい人にとって、 結局何?と感じるんじゃないか。 そんな危惧もあります。
日本よりも浸透している、 ヨーロッパの最前線がほとんど紹介されていないことにも、 個人的には物足りませんでした。
総じて、客観性にやや欠ける印象。 もったいないです。
内容は商品の概要紹介のとおり。「幸福感を生み出す他者への貢献」について、
震災と意識調査(第1章)、戦後史(第2章)、現代社会(第3章)、2020年までの未来像(第4章)を題材に論じている。
未来社会への提言というと、どこかで聞いたような当たり前の議論か憶測ばかりのトンデモ論が目立つなか、
たとえば以下のような、具体的かつ工夫によっては実現できなくもなさそうな提案は興味深く、また説得力があった。
●「各人の個室は最低限の広さで、家族で過ごすリビングが大きな面積を占める家」
(リビングの中央に電源を配置して、住人はリビングの中心に向かって座る)を作ることで、
「個室からではなく、リビングから個々の家族が外につながる、でも同じ場所を共有」することが可能になる。
●「人の滞留が起きるような場所を間に用意し、そこを通過しないとたどり着けないといった仕掛け」のある通勤ルートの設計。
●「住む場所も商業施設も、そして職場も学校も、できる限り近づけてしまう」ことで、
「見慣れた他人を生活の中に増や」せば、「ほんとうに「いざ」というときの助けになる」。
全体的にとても平易な文章でわかりやすく、著者の本を読んだことのない人や、
何か入門書的な社会学の本を読みたい人にはお勧めできる。
が、これまでの著作と日本語の使い方や文章の難易度があまりに異なるため、
これは編集者の意向が過分に反映されているなぁ…と思っていたら、構成をライターの速水健朗氏が手掛けていた。
ので、この点については納得したものの、著者の場合は「わかりづらい文章」のなかにこそ
社会の事象をつかむための鋭いひらめきのようなものを見出せるタイプの書き手だと思っていたので、その意味ではちょっと残念。
個人的には、著者はいま最も信頼できる社会学者の一人だと思っている
(そんなに何人も社会学者を知っているわけじゃないけど)。
その理由は、たとえば本書にも書かれている以下のようなメッセージに、
著者の社会学者としてのスタンスが貫かれていると思うからだ。
「僕らは困窮している人たちというのを、特別な事情があって困窮している人たちでない限り、
その人の努力で何とかなるものだというふうに思ってしまう節があります」(中略)
「外にはみ出してしまって「普通コース」に戻れないでいる人々と僕たちで、
みんなが同じコースを歩いていくことはできないかもしれないし、そもそも必要じゃないかもしれない。
けれどそういう人たちと僕たちは、同じ社会を生きていくんだという認識を持つために、
SQという考え方が役に立つように思うのです」
少なくとも私は著者の考え方に共感するし、
本書を買う動機の一つには、何か著者の研究や活動に賛同の意を示せないものかという思いがあった。
その意味で本書の購入は、最近よく耳にする「応援消費」であり、「つながり消費」なのかもしれない。
(ちなみにこの思いは、本書の購入後、著者の書いた「あとがき」を読んでますます強くなった)。
ここからは余談です。
著者のパーソナリティを知るのにいちばん手っ取り早いのは、
彼がMCを務めるTBSラジオ「文化系トークラジオlife」を傾聴することでしょう。
(ほぼすべての放送がpodcastで無料配信されています)。
特に2011年10月23日(日)の放送回「僕たちは日本を変えることができない。」は
本書のテーマと関わる部分が多いので必聴だと思います(時間がなければ「part6」のラスト5分だけでも)。
http://podcast.tbsradio.jp/life/files/20111023_6.mp3
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