UNIVERSAL SEX―性欲に身障も健常もない
ハンディキャップのある方がものされる作品に、健常者の読者が期待するものとは何か?一言で言えば「その本を読むことによってウルウルする自分に感動できる」ということだろう。こうした動機を美しいと呼ぶべきか、劣情と呼ぶかは見解の分かれるところではあるが。本書は、そうした「感動したい」読者が最も手にとらない類の本である(そうした人たちこそ、本書を読むべきなのだが)。
人間である以上、霞を食うわけでなし、排泄もすれば性欲も当然持つ。しかし、健常者の多くはそうしたリアルなものを「あってはならない現実」としがちである。以前田中長野県知事が障害者の性の問題について発言したときに、「女性蔑視だ」という批判はあっても、障害者の性にまで言及をしたものは殆ど無かった。この事例は、あってはならないものを無いものとしようとする「建前」を端的に反映したものといえる。
本書は刺激的な事例に満ち溢れている。大いに笑える。芸人ホーキング青山の面目躍如といったところだ。そうした笑いの背後に、建前を超えた現実を考えさせるきっかけがある。そうした意味で本書の歴史的な意義は大きい。
しかし、難点がある。下品な語り口は直せないのだろうが(時に魅力的ですらあるし)、文章が下手すぎる。また、いちいち乙武くんと自分を対比する姿勢は卑しい。
とはいえ、感動を売り物にする本よりもよほど「感動的」である。
Dolls [ドールズ] [DVD]
北野武監督作品は自分の中で「BROTHER」で止まっていましたが、先日テレビで観てそれは衝撃的でした。
極めて賛否両論のはっきりする作品だと思いますが、自分の中では心に残る作品。果てしない悲しみの中に優しさをも含有した3つのストーリー。
それぞれのストーリーは省略された部分が多く、それ故に観客に考えるということを求める。登場人物の心の痛みが自分の中に染み込んでくるようなそんな気にさえさせる。
まさに「感じる」映画だと思います。四季折々の映像美や可憐な衣装によってよりいっそう際立っていると思う。
そして「冥途の飛脚」の2体の人形はそんな彼らに何かを訴えている。
この作品を絶賛する人、酷評する人といると思いますが、それだからこそこれからもこうした作品は作られていくのではないかと思います。
ニュースステーション最終回の久米宏さんが言っていました。「批判があったからこそ続けてこられた」と。映画も同じではないでしょうか。
このDollsは万人にはお勧めできる作品では決してなく、そして「面白くなかった」と誰かに言うべき作品でもないと、個人的には強く思います。最後に言いたいのは、北野武監督はスゴイ!これに尽きます。
Dolls[ドールズ] [VHS]
北野監督にしては、けっこうオーソドックスなカメラワークです、たぶん。
ストーリーは、会社の社長の令嬢と結婚するために彼女と別れ、いざ結婚式のとき、彼女が自殺未遂したことを教えられ、完全駆け出す彼氏。
そのあとは、監督お得意の非現実生活に突っ走ります。そこに、ヤクザの親分の昔からいままで引きずっている恋話と、顔に怪我を負ったアイドルに会うため無茶をする青年が、ぎりぎり薄すぎる人間関係でからんできます。
まず構成なんですが、文楽に語らせるというのはヨージヤマモトの衣装があまりにも非現実的なんで(そうそう手に入らないと思う)ワンクッションおいてみて、抽象性を出そうとしたんじゃないんでしょうか。あまり突っ込みながら見るのも疲れるんで淡々と見ました。
個人!的に好きなシーン(映像)は、赤の紐でつながれた2人が大量の風車を並べた屋台を歩くシーンが幻想的で、あぁいいなぁ、と声に出ました。で、もうひとつ。これまた2人が夜の川べりを歩いていて、彼氏が先に小さな板の橋を渡り・・・でも彼女が遅れて紐がのび彼氏が引っ張られるシーン。ここでようやっとあの赤い紐が、彼女をもう二度と手放さない、という彼氏の意思の表れなんだと納得しました、それまではある種の記号みたなもんだと思ってたんで。
ラストはもう、しょうがないでしょう、救済を求めるならば。
差別をしよう!(14歳の世渡り術)
ホーキング青山さんの差別理論は非常に正論で、的を得ていると思います。経験者にしかわからない考えや価値観が散りばめられているので、差別問題に興味のある方は一読の価値があるかと。ただ、著者が芸人さんだけに茶化したり、ジョークにしたりする限度がちょっと度を超えているというか、簡単に言えば「差別をしよう!」なんてタイトルがちょっと刺激的すぎて、やりすぎ感があります。何事もバランスとか節度が大事かと。せっかくいいことを書いているのにもったいない気がします。もう少しバランス感覚とか節操があれば五星でしたが、現状だと読解力のある人にしか本意が伝わりにくいかと思います。