「小説すばる」創刊15周年を記念して、同誌に掲載された短編小説群から選ばれた秀作16編を 1冊にまとめた本。集英社文庫編集部編。
この本を本屋さんで見たとき、迷わず即買ってしまった。それくらい魅力のある作家さんの作品が ぎゅとっと詰まっている。赤川次郎、浅田次郎、綾辻行人、伊集院静、北方謙三、椎名誠、篠田節子、 志水辰夫、清水義範、高橋克彦、坂東眞砂子、東野圭吾、宮部みゆき、群ようこ、山本文緒、唯川恵。 この顔ぶれを見たら、本好きな人は心を動かされずにはいられないだろう。描かれている作品も多種 多様で、本当に楽しめた。未読の作家さんの作品が読めたのもよかった。この本を読んだのをきっかけに、 未読だった作家さんの他の作品もどんどん読んでみたいと思う。 まるでおもちゃ箱か宝箱のような本だった。「次はいったい何が飛び出すのか?」そんなワクワク感も 味わえる、満足できる1冊だと思う。
著者の清水義範さんは、四半世紀は読んでいる、好きな作家の一人だ。それにしても、静かに落ち着いてしまったなぁとは思う。人の好い物知りオジサンの薀蓄本しか書かなくなっているが、65歳なんて作家として静かになる年齢じゃないのになぁ。
さて、本作だが、正に物知りオジサンの薀蓄本である。既に先達のレビューが2件あるが、歴史好きにはご存知の内容と驚くことのない普通の感想でしかないだろうが、知らない部分があった人には少しでも得るものがあるなら、お手頃だ。 「おわりに」の終わりから引用しよう。 「歴史上の暴言をじっくり考察してみよう、という本書の狙いは」「暴言の中にこそ、その人の真の思いがあったり」して「その時本当に何があったかが見えてくる」 「日本史の中の暴言を見てきて、私は歴史に親しみを感じることができた。読者にとっても、これがそういう一冊になればいいと祈っている」
定価800円にも満たぬメディアファクトリー社の新書として、↑の狙いで書かれた本として、真っ当な内容と評したい。
ただまぁ、「じっくり考察してみよう」と言いつつ、こうした内容もある点は、長年のファンとして苦言を呈したい。
1.徳川綱吉について、内匠頭切腹と(その綱吉採決に異を唱えての討ち入りをした)浪士切腹とは判断が矛盾する、世論・大衆迎合ではないか。そのトバッチリで処分された吉良義周や上杉家にが筋の通らない話だという。しかし、一方で、綱吉を独裁将軍で、全てを思い通りにしたがるとも評している。独裁傾向のある上様が、世論迎合などするだろうか?多くの時代小説や解釈本では、大事な日の殿中刃傷に激した綱吉に迎合した者(多くは柳沢吉保とする)が 即日切腹を決めて、後に矛盾しないギリギリの形で浪士切腹を判断したとするところだ。
2.「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓を決めた東條英機について、そのせいで何十万人もの兵が死んでいるはずだとして、「その罪だけでも、東條が軍事裁判で死刑の判決を受けたのは当然のことだと思う」としている。気持ちとしては理解できるし、厳密には、因果関係を決め打ちもしていない。 しかしだ。いわゆる東京裁判での東條の罪状に、上記のことは含まれない。こういう未だに議論も残る部分では、誤解を与える表現は避けてもらいたかった。
読者は最後まで読まないといけません。なぜなら名古屋人の生態を解き明かすことに主題が設定されていないことが、あとあとになってわかるからです。 それはそれとして、最初の「蕎麦ときしめん」は読み物としておもしろい。 存分に騙されてください。
もう何から読んだらいいか判らないくらい清水義範の本は多く出版されているが、やはり初期のこの本がいまでも最高。 どの短編もパロディというかパスティーシュなのだが、その一つ一つがまるで出来のいい俳句のように無駄がなく引き締まった出来で、なおかつ死ぬほど笑える。 最近の清水氏はちょっと書き散らしたせいか、この本の当時のいい意味での緊張感が文章からなくなってしまったように思えるのは気のせい?
大学受験を控えている浅香一郎の悩みの種は、国語の問題だった。どんなに読んでも理詰めではとうてい理解できないし、回答を見ても何が正解で何が間違っているか皆目わからない問題に、彼は苦戦していた。そんな彼に、父親が見つけてきてくれた家庭教師月坂は、一郎少年にある画期的な国語問題の必勝法を授けるのである・・・。
清水義範による短編集。表題作の「国語問題必勝法」は、「そもそも単一の答えなんて導き出し得るのか?」という国語のテスト問題に対して、強烈なアイロニー小説に仕上がっている。そのほかにも、「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」や「人間の風景」などは、時にブハハと吹き出しながら、時にニヤニヤしながらでないと読めなかった。こうした笑える小説というのは、後に90年代になり有志によって営まれたテキストサイト、あるいは2000年代に入っての2ちゃんの「おもしろいコピペ」シリーズや、ネタブログ、さらにはtwitterではネタツイッタラーなどに受け継がれていて、その源流の一つには間違いなく著者が立っているといえる。あとがきでも、自らのスタイルを物真似で小説を書くパスティーシュであると評しているが、そういう意味でもまさに現代的なのだ。
だが、著者の「引き出し」は笑いだけではない。「時代食堂の特別料理」は誰もが少しは抱く過去へのほのかな憧憬をあつかったファンタジーであるし、徐々に痴呆が深刻化する老人の視点から書かれる実験的な「靄の中の終章」などは、ユーモアもありながら、同時に薄ら寒い物を感じる。この一冊で、著者のいろいろな側面が堪能できるわけだ。解説は丸谷才一が担当している。
|