「運命はかえられる」最近よく流行の本でよく見られる言葉ですが、十年前にドロップアウトし、「もうどーでもいいやー」と思ってた私を、救ってくれました。ただ言葉だけではなく、その理屈から、著者一流の知識、引用によって体系化され、血肉をつけられた言葉だったからです。 「シンギュラーポイント」など、現在では皆知っている言葉ですが、昭和52年当時にこの言葉を使用していた程の洋書に対する広い知識、また和漢の古書に通じる著者の碩学が、いかんなく発揮された本です。 安岡正篤の本は、これ以外にも「経世さ言」「易学入門」「百朝集」など、許しと、気合を与えてくれるものが数々ありますが、この本を読めば、それらを読みたくなります。 易についての説明も、入門的にもちろんありますが、その前提としての理解の為の説明が大半を占めるところ、ただ売る為だけの占い本とは訳が違います。「運命とはめぐるもの、自助努力による」すなわち、現在の自分の状態(なかなか、自分では気づきにくいものですが)を易により知り(もしくはヒントを得)、それにより自ずから自分を改善し、未然に災いを防ぐ、というしごく当たり前の理屈がとかれています。それがゆえに、この本の価値があるのです。易は、あたらなくてもよいのです。自分を振り返る為のツールであるのです。
「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル著)が日本では1996年に翻訳出版され話題になった。その流れにある分かりやすい哲学入門書。 わたしたちは生きていく上で判断基準(モノサシ)になるものを必要とする。そのひとつが「哲学」である。と宣言して、入門書にありがちな哲学史の解説に終始することなく、読者の抱える現在の悩みや疑問に答えようとする姿勢がある。 川村の絵は、著述の単なる添え物ではなく、図解を担っているものでもない。西の構想からインスピレーションを得て創造したもので対等な競演関係にあって楽しめる。 これまでさまざまな哲学入門書を手にとってみたが、最後まで読めた哲学入門書は少ない。しかし、それは内容が浅い、ということではない。読後感は「ためになった」「勉強になった」というより「刺激になった」という感じだ。つまり、随所で著者から読者へ問題提起がなされ、挑戦意欲にかきたてられたのだ。
もし其れが小学生以下ならばこの作品は如何考えても子供向けではないですね。これは断言できるでしょう。
小学生では理解できないであろう描写も有りますし、多少・・・残忍な演出も有りますから。
個人的には結構面白いと思うんですけど、何ですかね・・・バトルシーンが短絡的過ぎるって言うか・・・
端折り過ぎていますね。マッドハウスの製作故、画力は申し分無いんですけど
やはりあの人間同士の戦闘とスピリット同士の戦闘描写が頂けないですね。
まぁ不満な点は其れくらいですね。
哲学なぞとうたっているから、珍しいもの見たさや気晴らしの旅行で満足している人がこの本を手にすることは少なそう。たしかに、哲学者である著者が、旅人として著名な西洋人を引っ張り出してきて、旅のすばらしさを体験させてくれる本であって、いわゆる旅のノーハウ本ではない。パック旅行に限界を感じている人または自分の旅行術をもっている人には、こんな旅もあるのだぞ、という著者らの主張を考察し、自分の旅に磨きを掛けるために是非読んでほしい本。どんなふうにして磨きを掛けるかといえば、批判的に読むことなどはその一例。すなわち、旅の写真について引き合いに出しているけど、ちょっと違うんじゃない?写真だって、美しいものを感じ取りそれを切り取らなきゃ、写真じゃない、ファインダーをのぞいてシャッターを切ればいいってもんじゃないよ、あなたやラスキンがおっしゃるスケッチや絵と本質的に違わないよ、などと。つまり、自分の旅を対置するってこと。 でも、珍しいもの見たさや気晴らしの旅行で満足している人にも、もっと違う旅もあるんだぞ、ということに気がついてもらう意味において読んでほしい本でもある。
一日、寝転んで「哲学のモノサシ」と本書を続けて2冊読んだ。ときどき眠くなるままに居眠りし、気分転換に起き上がってゲームもしたりテレビを見たり、しかし途中で投げ出すことなく読みきった。 「哲学のモノサシ」と同じ装丁なので、正・続のように見えるが、本書のほうは毎日新聞に連載されていたもので、その性格上、各文章の長さは「千字」でまとめられていることが、第一に飽きずに読めた原因である。さらに哲学の専門用語は極力避けられていて、中には、エッセー風にすらなっている文章もあってリラックスできた。 「哲学の練習問題」という表題のとおり、人生上のテーマを読者に投げかけながら著者なりの模索が提示されている。 読者の代表として川村が感想や疑問や連想したことをコメントし、それに西がコメントを重ねているが、これがまた問題提起にもなっていることがあって、まさに哲学の「練習問題」になっている。 頭によく入らない難しい哲学書に挑戦することも必要だろうが、一般読者なら、本書をよく噛みしめて、自分なりのコメントをまとめてみることもいいのではないだろうか。ちなみに小論文の「練習問題」にもなるだろう。
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