蕪村とは「菜の花や月は東に日は西に」という句の作者であり文人画家として有名という教科書的知識しかなかった。この本を読んで、初めて蕪村の人となりの全体像をイメージできた。俳諧宗匠に就いたのが55歳だったということ大阪人で晩年は京都に住んでいたということ、与謝と名乗った由来もまた、初めて知った。蕪村の世界に一歩踏み込むには格好の入門書だ。菜の花の句の絵画性、その成り立ちの背景と創意についての解説は具体的でわかりやすい。また第6章春風のこころの「春風馬堤曲」は、蕪村の創造性と力量を多面的にとらえられる入門書の域を超えた解説であり、蕪村の遊び心が楽しめる。
カラーページが多く、とても充実した内容です。与謝蕪村のこうした美術作品の書籍は高額なものが多いのですが、この本は低価格で内容も満足のいくものです。与謝蕪村初心者にはおすすめです。
出会いは二十年以上も前に遡る著書であるが、今なお時々愛読する。ふっと蕪村に会いたくなる時、懐かしい俳句の一つや二つを読みたくなる時、落ち込んで慰めが欲しい時などが再読の機会となる。郷愁性、青春性、牧歌的、叙情的、叙景的等いろいろ蕪村俳句の特徴を挙げることができる。蕪村の俳句は、概して「明るい」、「懐かしい」、「精神的に軽くしてくれる」、「慰められる」という印象がある。丁度クラシックにおけるモーツァルトの曲と似た位置付けであろうか。蕪村俳句を読む時は、モーツァルトの曲を聴き精神的に高揚されるのと同じような状況を生み出すと言えないだろうか。
なお、嘗て知人に名著として薦められ、読んだ「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎著)は、蕪村俳句を理解する上で至極参考になる優れた解説書と思う。薄い文庫本であるので、是非にお薦めしたい。
また、蕪村は高名な画家でもあり、俳句に通じた素晴らしい絵がある。俳句の嗜好は年代に応じて変化するが、今また拾い読みしてみれば、以下のような蕪村俳句が好みとして挙げられる。
さしぬきを足でぬぐ夜や朧月
月に聞て蛙ながむる田面かな
にほひある衣も畳まず春の暮
洗足の盥も漏りてゆく春や
春惜しむ宿やあふみの置炬燵
腹あしき僧こぼし行施米哉
初汐に追われてのぼる小魚哉
淋し身に杖わすれたり秋の暮
かなしさや釣の糸吹くあきの風
うづみ火や終には煮る鍋のもの
古池に草履沈みてみぞれ哉
朔太郎の詩は、当方にはなかなか理解し難いところも多いが、本書は近代日本最高の詩人のロマンティズムが横溢、郷愁の風が吹き、センチメンタルな心地よさに酔わせてくれる。 本書を読むことで、評者は圧倒的に“蕪村派”になってしまい、芭蕉を敬遠することに相成った。 本書付録の「芭蕉私見」では、当初嫌いだった芭蕉だが、老年に差し掛かって芭蕉の「東洋風枯淡趣味が解って来た」と朔太郎は書いているが、当方いまだケツが青いこともあってか、何回読んでも蕪村のほうがよいと思える。こういう比較は、まあどうでもよいことだが・・・・。
「秋ふかき隣は何をする人ぞ」(芭蕉)と「門を出て故人に逢ひぬ秋の暮」(蕪村)のどちらがよい? 朔太郎は「双璧」としているが、評者の好みでは圧倒的に蕪村。尤も芭蕉作を意識して蕪村は詠んだのかもしれないが、「故人に逢ひぬ」には軽く眩暈さえ覚える。
「恋さまざま願の糸も白きより」 「愚に耐えよと窓を暗くす竹の雪」 「この村の人は猿なり冬木立」 「おのが身の闇より吠えて夜半の秋」 「愁いつつ丘に登れば花茨」 「春風や堤長うして家遠し」 「春の夜や盥を捨る町はづれ」 「遅き日のつもりて遠き昔かな」
こう並べて読んでいるとシューベルトを思い出す。 冥い想念。
しかし、このリズム感。
「菜の花や月は東に日は西に」 「梅遠近南すべく北すべく」
本書は何度も読んでいると、朔太郎の解説が余計になってくる気もする。実際不要ではないか! 与謝蕪村、この詩人の詩は汲めども尽くせぬ。「第二芸術」とか何とかなんて不毛な議論だなあ〜。
芭蕉という人は、一般に俳句一筋の、<求道者>と言われているようである。はたして、本当にそうだろうか。
閑さや 岩にしみ入 蝉の声
さびしさや 岩にしみ込 蝉のこゑ
上にあげた二句を比較してみると、芭蕉にとって、「閑さ」と「さびしさ」とは、ほぼ同義であったらしいことがわかる。これを裏返せば、芭蕉は、にぎやかなことが好きだった人なのではないか、と私は思ってしまう。
富士の風や 扇にのせて 江戸土産
いま挙げた句など、お茶目な人柄が垣間見える。芭蕉の句には、「秋の風」を詠みこんだものが多い。ような気が、私はする。「春の風」、「冬の風」、「夏の風」を詠みこんだ句のインパクトが薄いからかもしれない。
石山の 石より白し 秋の風
秋の風 伊勢の墓原 猶すごし
見送りの うしろや寂し 秋の風
物いへば 唇寒し 秋の風
芭蕉の「さびしさ」は、いま挙げたように「秋の風」とともに詠みこまれている。私の勝手なイメージでは、「さびしさ」を感じるのは、むしろ、「冬(の風)」ではないか、と思っていたのだが、どうも違うらしい。
君火をたけ よきもの見せむ 雪まるげ
いざさらば 雪見にころぶ 所迄
雪を見てはしゃく姿は、〈求道者〉というよりは、子供のようだ。
すゞしさの 指図にみゆる 住居哉
<ずしさのさしず>、だけをとりだすと、この部分だけ<回文>になっている。芭蕉は意識していたのだろうか? それとも、偶然? 意図してのことだとすれば、芭蕉は言葉遊びを句に盛り込んだことになる。子供のような芭蕉が、ここにもいる。
結論、芭蕉は、子供のような、<求道者>である。
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