映画『グッバイ・レーニン』成功の功績の半分は このヤン・ティルセンの紡ぎだした音楽によるものではないか? と思わせてくれるゴキゲンなサントラ。 少しもドイツ(しかも東!)らしくない 軽快なリズムと弾んだメロディーは 意外にも急速に資本主義化していく東ベルリンに ぴったりとマッチし、はまっていた。 時に見せる欧風の憂いを含んだ旋律は 変わりゆく街並みへのノスタルジーだ。 映画館を出た後、思わず口ずさんでしまう、 魔力に満ちたサントラであることは間違いない!
私は大学でドイツ語を専攻しており、在学中の1989年9月、 まさに壁の崩壊する直前の東ベルリンにも立ち寄っている。 東に見せつけるために、必要以上に華やかな西ベルリンから 東ベルリンに入ると、全ての物が色褪せていて、 道行く車〈トラバント・・ボディの一部は強化ダンボール!〉の 紫色の排気ガスは目と喉を刺激して まさしく「東側」に来たことを感じさせた。 街の中心部まで歩いていっても人影がまばらで 商店のショーウインドーにも棚にも商品は少なく 強制両替させられた東ドイツマルクを持て余し キオスクで新聞を買えば、少し握っていただけで手が真っ黒になった。 カフェで頼んだコーヒーはコーヒーと言える代物ではなく しかし全ては今では貴重な体験に思える。 そんな懐かしい想い出に浸りながら、 『グッバイ・レーニン』を観て、そして読んだ。 あれから10年以上も経ったからであろう、 よくもここまであの当時を客観的に描写したものだ。 またドイツ人にこれだけ(!)三谷幸喜ばりの ユーモアセンスがあったことに驚かされた。
ドイツ映画界久々の大ヒットとなった作品。予告を見た人たちの多くは、私も含めて西と東の較差を中心に描いたコメディを予想して映画館へ足を運んだ。実際にはめまぐるしい変化に翻弄される人々の戸惑いや東から西へと激変する社会を、壁で引き裂かれた家族-必死になって小さな子供を守ってきた親の世代と子供の頃に父親と別れて以来母子家庭に育ってきた子供の世代を通じて丁寧に描いた作品だ。 すがるように信じてきたものがある日を境に否定され、価値のあったものが、ことごとく別の世界の原理によって価値を失ってしまった。多くの人々が意外にあっさりとそのような変化を受け入れていく中で、そんなショックから、心臓の弱い母を守ろうとする息子。 病床の母を守るためにつき始めた嘘に決着をつけなければならない時が来た時、息子はこの一世一代の大嘘を突き通す決心をする。それはあまりにも馬鹿げているが、音を立てて崩れ消え去ってしまった祖国への、レクイエムでもあるようで切なさを残す。
サンダンス映画祭でドキュメント賞を受賞した「アメリカはなぜ戦争をするのか」という作品を先頃見たが、中南米へのアメリカの介入にはCIAの陰謀がたえずつきまとう。この映画の舞台であるエルサルバドルも「小さなベトナム」化した国だった。映画としては殆ど話題にならなかったが、中南米の貧しさとどうしようもない現実がじつに生々しく描かれており、そのリアリティが凄い。こんな国に行ったら、怖いだろうな、と思う。英国人の友人がやむを得ず仕事でコロンビアに行った後、「あの国には絶対行くな。あんな危険な国はない」と言っていたのを思いだすが、あの地域のことはほんとうによくわからない。無気味な怖さを感じるが、この映画はそうした中南米の状態をよく表現している映画だと思う。もちろん、すべて一緒くたにしてはいけないが、いままでも、これからも、そこに住む人々にとっては大変な国と思わざるをえな い。とにかく力作で、その大変さが良く伝わってくる。
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