潔く散れという「散華」の思想に対して、野坂昭如の思想は「難死」=虫ケラのような死しかありえないという思想です。そして、生の原点は性にあります。歌にも70年代の傑作小説群に描かれた情景が色濃く反映しています。
1972年の自主制作盤について説明します。
A面の「バージンブルース」の前に(2)「梵坊の子守唄」、これは松浦地方の子守唄と注記されていますが、梵坊とはボボのことで、「ひとつ、昼もする炭鉱のボンボよ」と始まる数え唄形式の春歌、「むっつ、無理にする強姦のボンボよ」をはさみ、「とうで、とうとうセンズリかいて死んだよ」と終わる。 B面は「花ざかりの森」の後、「黒の舟唄」の前に、(7)「幸福のどん底」(詞は能吉利人=イエス・キリストのもじり)“心底心底お前に惚れて俺は幸福のどん底よ、酒はうまいし戦争はないし、俺は幸福のどん底よ”“ハラも立たなきゃチンポも立たぬ、俺は幸福のどん底よ”、(8)「バイバイベイビー」(吉岡オサム詞)“可愛いもんだよ学生さんはみこすり半であの世行き”と、フーゾク(当時はトルコ)嬢による性戯昇天を歌ったもの、(9)「唐紅のブルース」(金井美恵子詞)娼婦渡世を歌う唄、(10)「おりん巡礼歌」のぞきからくりの語りを模して、毒婦おりんの一生を語る。1972年の自主制作盤も復刻してくれればいいのだが。
1972年のオリジナルジャケットは野坂の印を結んだ手と毛深い二の腕の写真です。
「タイアップ」と「俺の罪」を聴く限り、かなり己を追い込んで詞を書いていると思えとても好感が持てた。
「ファンだけじゃ 食えねえ ロックなど 犬が食え」って叫びこそロック以外の何者でもなく、何度もくり返されるタイアーップという絶叫がやけに格好いい。
「俺の罪」では「彼女を捨てた 俺の罪 お猿になるから 許してちょー」とおふざけチックに歌うのが罪悪感を感じさせてとてもいい。
全体的に意欲作の揃った名盤です。音も聴きやすい。
ライブ録音が4曲含まれるが、録音状況はよくない。アナログ版発売当時には添付されていた簡単な写真集がついているのであれば、若い頃のハコを見て聴いて楽しめるハコファンに最適な一枚。
新曲がすっごいパワーです。ぞわーっと鳥肌。 あれほど好きだったジェイクとの破局後、パニック障害やなが〜い沈黙 熱愛のROCKADELLICとの対比がすごい。 その後の苦しさ、切なさ、深い想いがフルにハードに心に響きます。 アンの再起に拍手!!がんばれ!!
特にこのCDが、と云う訳ではないが、志ん朝師は正に落語と云う話芸が生み出した最終回答とも云うべき存在だった。師を語る時に、私は冷静ではいられない。 かつて桂文楽師(八代目)が、若かりしころの志ん朝師を評して「もし将来円朝を継ぐ人がいるとしたらこの人です」と云ったそうだが、至言であろう。栴檀は二葉より芳し、名人は名人を知るのだ。 師の生前、実演で「抜け雀」を聴いた。晩年の小さん師との二人会だった。八五歳になり、老残と云うしかない小さん師の「禁酒番屋」に比べ、志ん朝師の「抜け雀」がいかにいきいきと躍動していたか。名人交代劇を目の当たりにし、志ん朝師がいる限り落語は大丈夫だ、との思いを胸に帰宅した事を覚えている。 しかしその一年後に、小さん師よりも先に逝ってしまうとは・・・痛恨の極みとしか云い様がない。 かつて談志師が、「いつか俺たちが歳を取ったら文楽・志ん生を聴いたんだぞ、と自慢してやろうじゃないか」と云っていたそうだが、志ん朝師こそ、我々の世代唯一の名人であった。当代では比較を絶した孤高の存在だった。 師に六三年しか寿命をかさなかった天を、恨みたい。
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