歯医者の待合室でなにげなく手にとって、読みながら泣いてしまいました。 家族のために働く父親の気持ちに感動するためです。 本屋で買い求めて、嗚咽をもらしながら一気に上下巻を読みました。 脇で私の姿を見て笑っていた主人も、読み始めたら泣きだしてしまいました。 作者が自衛隊員だったためか、格闘の描写に迫力があり、新選組の人たちの気持ちも合点がいく書かれ方がしてあり、侍ものが好きな方にもおすすめの本です。 蛇足ですが、この本の南部弁は、おかしなところがひとつもないので脱帽しました。
北海道は富良野でロケが行われたこの作品の舞台となる駅と「だるまや食堂」に、こないだ旅行の際に寄ってみたけど、いまでも、だるまや食堂くらいしか、少しでもにぎわいを感じさせるところはなくて、映画でなくても本当にさびしいところだった。
というわけで、ロケ地を見た後で、この作品を見たわけであるが、主役が健さんだということぐらいしか前提知識がなかったので、こんなに胸を締め付けられるような作品だったとは思わなかった。
昔は炭鉱でにぎわった駅に蒸気機関車が力強く汽笛をならす。そんな人生のスタートを切り、駅長に出世した乙松こと健さん。大竹しのぶ演じる妻と結婚して、しあわせな人生をおくるはずだった。
それが、いつのまにか、炭鉱もなくなり、蒸気機関車も、一両のみのおんぼろ電車になり、家族も...
最後に登場する広末があまりにもかわいいうえ、演技で堂々と健さんとわたりあっているのに感動。
広末が駅員帽をかぶって敬礼するシーンが、この作品のクライマックスだ。
映画館が閉鎖されるときの切ない気持ちが漂ってきました。原田芳雄さんがラストシーンで観客に向かってこんなことを語ります。「オリヲン座を閉めることになって、映画人の端くれとしてすまない気持ちで一杯です」映画という文化は、単にフイルムに映像を写したものを観るというだけではなく、映画館という舞台装置を必要とするのかもしれません。映画館が閉鎖されてゆくことは、映画に携わる人にとっては何より辛いことなのかも知れません。日本映画への讃歌ともいえる物語に仕上がっていると思います。ニュー・シネマ・パラダイスというイタリア映画がありましたが、それを彷彿させてくれました。映画への感謝の気持ちをこめて見させていただきました。宇崎竜堂さん、宮沢りえさん、加瀬亮さん。樋口可南子さん、原田芳雄さん、全員の出演者の方々が本当に素晴らしいです。映画人が映画への愛をこめて作った映画なのだと思いました。浅田次郎さんも映画がとてもお好きだとか。原作のファンタジックな雰囲気を大事にして、映画らしい脚色が加えられています。
敗戦を目前にした1945年8月。3人の軍人が、軍が戦争初期に獲得したマッカーサーの隠し財産を、敗戦までに神奈川県内の地下壕に隠匿する密命を帯びる…。そして、その莫大な額の隠し財産は戦後日本の再建の礎になるはず…。フィクション作品としてはすごく興味深いテーマです。
中心となる軍人たちや、作業をする生徒たちの級長である久枝、教師などを演じた出演者の演技も真に迫って素晴らしいものでした。真柴少佐が林の中を他の2人と走るシーンも、軍人の走り方を意識したものになっていましたし、セットや小道具も丁寧に作られていたと思います。大蔵省から陸軍に出向中でいかにもインテリでエリート然とした小泉主計中尉、2人の護衛役となる曹長もクールでかっこ良いです。
しかし、ミッキーカーチスや八千草薫の出てくる現代のシーンの大半は不要なのでは…と思いました。現代から過去を回想するシーンから物語が始まる方法があまりにベタで、違和感を持ちました。第2次大戦を舞台やテーマとして撮られた最近の日本映画は、このパターンが多すぎるのではないでしょうか。冗長な現代のシーンと、ハラハラさせられる過去のシーンとで、ちょっと落差を感じてしまいました。現代のシーンが過去を振り返ってベタに正当化したり美化する手段にしか使われていないので、少々飽きてきました。その分を、もう少しストーリーそのものを描くことに使ってほしかったように感じました。
現代のシーンをのぞけば、途中まではハラハラドキドキさせられる展開で、真柴少佐や小泉中尉、曹長が困難を乗り越えて隠し財産を守り通す様子や、生徒たちが作業を進めるのを、心の中で「がんばれ!」と応援してしまいます。しかし、終わり方はあっけない。
財宝の秘密を守るために小泉主計注意が拳銃自殺を遂げるのを見届けたマッカーサーが、「こいつら日本人の心は鋼鉄でできているのか!」とさけびます。冷静に見るとちょっと手前味噌でわざとらしいですが、それでも日本人の自尊心をくすぐってくれる心地よい台詞です。また、少女たちは守るように命じられた財宝を、屍となっても守りぬきました。しかし、結局、財宝は地下に封印されてしまいます。「うーん、これおでは少女たちは犬死じゃないのか、犬死を美化するなよ」と心の中で突っ込んでしまいました。原作を読んでいないので何とも言えませんが、日本人の強さや高潔さを描くなら、現代の人間に過去を振り返らせて語らせるのではなく、もう少し他の方法や表現はなかったのでしょうか。
このエッセイはもしも浅田次郎がちびまる子ちゃんを書いたらこんな風になるだろうって感じのエッセイかな??主人公はまる子ではなくジロウだけど。
浅田次郎さんの小説を実はあまり読まないが、エッセイはすごく好きです。(アウトロー文庫シリーズとか)
最近の小説は狂人の殺人犯ものが多いので、こういった系はちょっと息抜きみたいにもなりますよ。エッセイだから金太郎の飴如くどこから読んでもいいのである。でもまる子みたいと言いつつも難しい熟語も多い。見慣れん漢字が結構出てくる。さくらジロウだから。
巨人の星の星一徹がよくアニメでちゃぶ台をひっくり返す場面がありましたが、それが本当のことだったとは・・・・・。
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