前作同様に小説形式。登場人物によってうまくレベル分けしてくれている。
今回は整数問題、特にフェルマーの最終定理を扱う。
数を「代数」・「幾何」・「解析」という数学の異なる分野から視点を変えて観察する。
それがつながりにつながっていく。この美しさを教えてくれる。
そしてその結晶こそがフェルマーの最終定理なのだ。
難しい予備知識は必要ない反面、内容はとても難しい。
しかし、大雑把なイメージをつかむだけでも十分面白い。数学に魅せられる。
最先端の数学に触れてみたい人、数学の魅力・美しさに触れてみたい人におすすめの一冊。
『論理学入門』というタイトルの是非は措くとして、内容は「人間原理」についての鋭利な哲学的分析である。「宇宙の年齢は137億年」と聞けば、我々はそれを物理学の事実であると考えて、そこで思考を打ち切ってしまう。だが「年齢」とは、「この今までに」過ぎ去った時間である。つまり、「この今」を意識する我々が存在しなければ、「宇宙の年齢」というものもない。「今ここに」我々がいるという「その事実」が、宇宙の生成の様々な物理的過程の解明に不可欠なのだ。これが宇宙物理学における「人間原理」であるが、パスカルを彷彿とさせる壮大な構図ではないか! 著者は「語用論的背理法」によって、この問題を捌いてゆく。「語用論的背理法」とは、言葉で語られた意味内容の中に、その言葉を語っている主体という言語外の事実を組み込みながら、論理の「境界」を探究する方法である。それは、宇宙の物理学的解明のために、物理的過程を「外から」意識する「我々」の存在とパラレルな事態である。前半の「論理学入門」は、この「語用論的背理法」を導くための序章なのだ。この方法によってデカルトの「我思うゆえに我あり」や独我論などの「超難問」も解けると著者は言う。この点については、評者は必ずしも賛同しないが、本書は哲学の研究者にも読んでもらいたい刺激的な書物である。
とても面白い本でした。
題名は「証明の探求」と、ちょっと厳しい感じですが内容は非常に丁寧な解説です。 大きなゴールとしては「背理法」と「帰納法」の理解したうえでの、「オイラーの多面体定理」「ピックの公式」の証明ということだと思いますが、その前に「平行四辺形の面積」「11の倍数判定法」などで数学の証明に関しての導入があり、それらの問題解説も面白く、独立して読めます。
個人的には、阿弥陀くじで入り口に対してゴールが一つしか決まらないことを帰納法で証明するところが、高校で学習した帰納法の扱いとはちょっと違っていて(本質的には違いません)、興味がかきたてられる部分でした。今までは主に漸化式などを帰納法で証明するというのが高校での学習の主だったものですが、阿弥陀クジのような幾何的なものも帰納法を活用して証明できるということが新鮮でした。 それがあったので「オイラーの多面体定理」「ピックの公式」の証明も比較的すんなり読む事が出来たのだと思います。
本書の中には、著者の経験、経歴が多く語られています。筆者は大阪大学大学院の教授ですが、大学卒業後は塾で受験指導のバイトをしたりしていたとのことで、最初の「平行四辺形の面積」「11の倍数判定法」では、中学受験のテクニックとして問題の解き方が語られています。そのような幅広い視点で問題を紹介しているのも本書の魅力だと思います。
その筆者の、証明を伴わない公式だけを数学教育で教えていくことが意味がない、という主張はものすごく共感のできる言葉だと思います。
本書のカバーにある「数学嫌いも必携!」というのは、気持ちは分かりますが数学嫌いには大変な内容でしょう。 しかしながら、数学が好きな人には、たまらなく面白い本だと思います。 お薦めです!
証明の流れは、ゲーデルの原論文に沿っているが、<<意味の世界>>と<<形式の世界>>の対比、等の説明に関しては、廣瀬健・横田一正の「ゲーデルの世界―完全性定理と不完全性定理」に基づいているらしい(本書中でも随所で参考にしている、とある)。
ただし、廣瀬・横田の本は、完全性定理についても解説するという、考えようによっては”欲張り”な目的のために、意味と形式の対比について言及しているが、本書の場合には、完全性定理には全く言及していないので、表現定理を説明するために、意味と形式の対比を強調する必要性は特になかったように思う。
対角線論法による自己言及命題の内容の説明に関しては、ホフスタッターの「ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環」のクワイン化の表現も用いられている(ただし、本書では「クワイン化」という表現は用いられていない)。
証明の記述に関して、式が長いために、読みにくい場合があった。ただし、これは本書に限ったことではない。場合によって、詳細を隠すような表現を用いるほうが、読みやすかったと思う(例えば、スマリヤンの「ゲーデルの不完全性定理」の後半では、証明可能性をP()あるいは様相□として、簡潔に表現する方法がとられている)。
"数学"と"数学論"の違いという説明は「ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)」の解説を踏襲していると思われるが、ここで表現定理を活用して、証明可能性述語が、形式系において表現可能でない等の説明があれば、意味と形式の対比が生きたように思う(廣瀬・横田の本では言及されている)。
ゲームにはルールがあります、ルールには説明があります。 小学校から中学校にあがった途端、ゲームが始まったのに説明は有りませんでした。
じゃあ今から私が説明しますから一緒にやりましょう。そんないい本です。
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