町田康演じる「薫」の目がすごい。 これこそキング・オブ・狂気です。
町田さんの背が先ずある。魂の叫びと真理を、大分変化球で攻めてくるんだけれども、真意を掬えなかったらホントにジャパニィズはジエンドですわな。と感じた。ここ最近大音量でヘッドフォンで聞きたくなった音はこのCDのみ。楽になるわー。
ポン・ジュノ監督作だけ見ました。 街中にある監視カメラに残っていた映像を並べて、ひとりの男の転落人生を語るという形式でした。一種のドキュメンタリー・タッチで、ほかのポン・ジュノ作品とは別物です。 必然的に長回し撮影となるのですが、駐車場のシーンは、常時左右に首を振っている監視カメラ(という体)で、カメラに合わせて3人の被写体が自然に動きます。かなり下準備が必要だったと思います。 ポン・ジュノの短編はほかに短編集「アーリー・ワークス」と、「TOKYO!」があります。 ファンとして星4つ付けますが、そうでない方には特にオススメしません。
江戸末期に河内に生まれた城戸熊太郎は子どもの頃からあふれるような思考と口に出す言葉とが合一することのないことに思い悩みながら育った。長じて博打に興じるばかりの生活を送るようになるが、明治26年、妻お縫が男と通じたことをきっかけに、舎弟の弥五郎とともにその男の一族郎党10人を次々と殺害するに至る。「河内十人斬り」に歌われた史実をもとに描く840ページの大長編小説。町田康に付された「文筆の荒法師」という修飾語がまさにふさわしい、俊敏で諧謔味あふれた魔術的な文章が大変魅力的な作品です。
定まった仕事も持たず、放埒な生活におぼれる熊太郎ですが、彼の内に秘めた河内弁による思弁の流れを見ると、彼が私たちとは縁遠い単なるヤクザ者の一人ではなく、明治前期に立ち現れた悩める近代日本の精神であるように思えるのです。ですからこの小説は平成に書かれたものとはいえ、明治文学を読むかのような錯覚を覚えます。
一方で、岩室の中で起こる森の小鬼とその兄・葛木ドールとの一件は熊太郎の精神と行動を生涯にわたって縛る大事件なのですが、人間の理知が届かね奇怪きわまりない描かれ方をしていて、あたかもガルシア=マルケスが描く南米の呪術的小説世界に紛れ込んだかのようで、大いに惑乱させられます。
さて、熊太郎は大量殺人に手を染めるための思考を巡らせますが、実のところこの殺人の理由は理詰めで解きほぐせるような類いのものではないように思えます。熊太郎は事実、「ほんのちょっとの駒の狂い」(514頁)という言葉を使い、また「もっと早くに勝負を降りるべきだった」(838頁)という悔悟の念を抱きます。私はそこにこそ、ひょっとしたら第二、第三の熊太郎になりかねないかもしれない危うさをはらんだあなたや私が生きる上での知恵が秘められているように思えてなりません。
1曲目「ホスト・シャッフル」から、もろマーチダ節が炸裂。
もうあなたの言いたい事は分かりました。 と言いたくなる程の濃い一枚。
これ聴きながら、「くっすん大黒」を読んでみましょう。
うくく。
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