なんでも50年代から活躍しているらしいジャン・コルティですが、ソロ名義の作品は2001年の"Couka"が初めてで、このとき既に齢72歳。可愛らしいジャケット・デザインと「72歳のデビュー作」というのに敬意を表してデビュー作を買ったんですが、軽やかで美しいアコーディオンの音にすっかりはまってしまいました。
それから不謹慎ながら毎回「これが遺作か?」と思いながら聴き続けています。今回はわずか2年のインターバルで届けられた3作目。御大は80歳になったそうです。ジャケットのデザインが前2作品のような可愛らしいイラストでなくなり、またデジパックから通常のケースになったのが残念です。内容は、インストものが中心だった前2作品と異なり、ゲスト・ヴォーカルを迎えた歌ものが大半。歌伴をやってた人だから当然と言えばそうなんでしょうが、慣れたスタイルなんでしょう。ジャズ風のインストなどが無くなった分、この3作目が断然聴きやすいです。
アルバムは基本的にアコーディオンにウッド・ベースと生ギターを加えた編成で、歌がそれに乗ってて、時々マンドリンやらちょとした楽器が入る程度。一発録りらしいです。そんな録音だからしょうがないですが、歌にしても音楽にしてもミス・トーンが結構あります。こんな音楽は雰囲気一発で聴くもんでしょうし、細かいことを言うのは野暮なのかもしれませんが、それにしても・・・。「歌ものが多くて聴きやすい」と言った舌の根も乾かぬうちに言うのもアレですが、オーソドックスなミュゼットのスタイルでやってる10や15などのインストが結局一番気に入りました。
今回は日本盤のみのボーナス・トラックはなかったんですが、ジャケ記載の「ジャン・コルティの語るアコーディオン人生」の仏語和訳が読めるのはありがたいです。
それは、'66年8月21日の事であった。ヴィッテルのホテルで、ブレルは、フランソワ・ローベールとジェラール・ジュアネストに、ステージから引退する旨を告げた。既に、ハード・スケジュールも度を過ぎた状態で、しかも、連日同じ事の繰り返し。これ以上続ける事は、観客も自分自身をも欺く事になる。何より、彼は疲れ切っていた。行き詰っていた。 10月6日から11月1日まで、ブレルは、最後のオランピアのステージに立つ(2番手スターはミシェル・デルペッシュだった)。実際には、この終演後も契約の関係で250回もステージに立った('68年の「ラ・マンチャの男」は除く)というが、オランピアのステージは本当にこれが最後である。 歌われた曲は全部で15曲。'61年も'64年も同じく15曲。それ以上は無い。ブレルはアンコールをしない事でも有名だったと言われている。しかし、今回は、追加で歌う事はやはり無いとしても、カーテンコールに幾度も応え、最後はガウン姿で挨拶するところまでフィルムに収められている。 「15年間の愛は証明されました。その事に感謝します。」 この短いコメントも、ブレルらしいというか、彼が好んだ「格言的」な言い回しである。そして、観客からも一斉に「メルスィー」の声が上がる。まさに、「記念碑的」というか、「伝説的」という言葉がこれほど似合うフィルムも滅多にないだろう。通常のライヴ録音ではなくフィルム撮影にしたのは、やはりその「価値」ゆえであろうが、そのためにわれわれ日本人にとっては、かなりの長期に渡って不便を強いられた。現在でも「一般的」とは言い難い(JVCのDVDプレイヤーはPAL対応の上安いが、それよりも、これほどの作品がこれまで日本で商品化された事が1度も無いことの方が納得いかない)。 最初の曲は、新作の「le cheval(馬)」。ブレルが舞台に駆け込んで来る。評論家の大野修平さんの著書によれば、ブレルの次女、フランスさんが来日した際、「父は、とても(ステージが)怖かったのです。だから走って入ったのです。」という話をしてくれたとの事である。確かに、'71年のクノックでのインタヴュー「Brel parle」でも、彼は、「いつも、舞台に上がる直前になると吐いていた。怖かったのだ。」と言っていた。しかし、演奏が始まると「さすが」の一言に尽きる。レコードでしかブレルを知らない人が見るとさぞ驚く事だろうが、彼は雄弁なその両手、時には全身で歌を表現する。皮肉たっぷりの表現は、いささか品が無いようにも見えるかも知れないが、これこそブレルの芸風(芦原英了さんによると、ダミアもステージではこんな感じだったという)である。昔ながらの「エンターテイナー」風でもある。 「les vieux(老夫婦)」('63)は、テンポをさらに落とし、ゆっくりとした老夫婦の生活を極限までリアルに描ききっている。「ces gens-la(あの人たち)」('65)も同様で、まるで天才画家の筆を見る様な感覚だ。「Amsterdam(アムステルダム)」('64)は、'64年のオランピア・ライヴ盤(公式録音)を優に超える絶唱。この映像は、2005年の「愛・地球博」で、ベルギー館の映像展示でも使われたほどだ。 「les bonbons 67(ボンボン67)」もこのステージでの発表。「ブリュッセルなまりも取れた。なまってるのは、テレビに出てるブレルぐらいなもんさ」と歌うが、「僕は叫びながら行進する。ヴェトナムに平和を! とね。」と、当時の情勢も思い出させる。「Jef(ジェフ)」('64)は、友人を励ましている自分も、実は以前ほど「幸福」な身ではない、という設定を思い出させてくれる。「au suivant(さあ続け)」('64)での恐ろしいまでの形相も、歌の内容を思い出せば、誰もが納得のはず。「le plat pays(平野の国)」('61-'62,注:レコード発売の前年のライヴ録音から、未発表の朗唱版が発見されたため-'98年)は、毎回、丁寧に、優しさを込めて歌われている。そして、ラストは、「Madeleine(マドレーヌ)」('61-'62)が定位置となった。明るく、開かれた終わり方だ。こうして、約50分のプログラムは終わり、「quand on n'a que l'amour(愛しかないとき)」('56)のインストゥルメンタルが流れる。「本当にこれが最後」という感じがしてきて、厳粛な気分にさせられる。何にしても、このライヴは「パーフェクト」である。
追記:当映像は、10月28、29日のテイク。この後、11月10日のテレビ番組(「Palmares des chansons」)でも10曲歌っており、商品化もされているが、声は若干疲れているようにも思える。 「私が最も安心して歌えるのがオランピア劇場だ」というコメントもある。 現在のオランピアは'97年11月に新装オープンとなり、音響も格段に良くなったようである('80年代には、アーティストに敬遠される憂き目もあったという)。先述の大野修平さんによれば、改装工事中は、鉄板にブレルらのイラストが描かれ、「le quartier du talent(逸材の街)」と書かれた看板もあった。当時の支配人の話によると、館内でブレルらの気配を感じることもあったのだという。彼らは、この劇場を守っているのだろうか...。(当時の新星堂の広報誌、および大野さんの編集発行誌「ca gaze」より)あまりにも感動的な話だったのでここで紹介させて頂く。
バンサンの絵本と出逢ったのは『アンジュール』が最初で、この本は
一生の宝物となっている。個人ブリーダーをしているため回りは犬好き
が多いが、プレゼントしてこんなにも喜ばれる絵本は他にない。今回、
『老夫婦』を発注し本を開くと、冒頭に彼女の手紙が紹介されていた。
『私は絵を描いています。ずっと、ブレルを聴きながら描いています。
「老夫婦」というシャンソンを絵にする・・・というこの一連のデッサンの
仕事は、とても順調に進めています。ブレルの歌を聴かずには、一筆
たりとも描いたり塗ったりすることなどありません・・・ 』
音楽は大好きだが、これまではJAZZとかBLUESとかROCK'N ROLL
が中心でシャンソンは深く聴いたことがない。ジャック・ブレルの歌も
耳にしたことはあるが、声が良いわけでもなく怒鳴るような唄い方だし
(加えてハンサムでもなく)、全体的になにかガサツな印象が強かった。
しかしながら、絵本に触れ彼女の気持ちを感じるに従って僕もブレルの
曲を聴いてみたくなり、彼のベスト盤である本CDを取り寄せた。
バンサンの絵本の効果があるのか、それとも定年間近で年齢的な感傷
が加わったためか、若かった時分とは異なりしみじみと音が入ってくる。
絵本のページを進めるにつれ、最初は重たかった「老い」のイメージが
何だか安らかなものに変化していく。それに伴うように、ブレルの声が
何故か懐かしく感じられる。力強く叫んだり、ユーモアたっぷりに囁い
たり、「歌心」溢れる縦横無尽の歌いっぷりには感動してしまった。
今回は歌詞カードをしっかり眺めながら聴いたが、Bob Dylanと同様に、
彼の唄も歌詞の内容を噛みしめながら聴くと良いのかもしれない。
人生の岐路に差し掛かった方々へ、立ち止ったときにはこれらのCDと
絵本とを是非ともお薦めしたい。
ジャック・ブレルのCDを買うのはこれが初めてで、収録曲の多さと値段の手頃さに釣られました。 アメリカ盤なのでブックレットに英訳歌詞しか載っていなかったのだけが残念ですが、他は特に文句のつけどころは無いと思います。逆にフランス語に弱い自分は、英訳で歌詞の大意を掴むことが出来ました。
ジャケットの表す通り、ミュゼとは深くそして温かくキュートな音楽であることを知らされた一枚。とても70代のお爺さんが弾いているとは思えない軽やかさ、いつまでも若々しくあれるのが音楽家、演奏者の特権だろう。もちろんここにくるまで成熟を重ねてきたことだろう。しかし、このアルバムで聴かれるのは、楽器と一体化した演者の余裕とユーモア精神が加味されたそんなフレッシュな音楽。ピアソラのタンゴに感動するリスナーであれば、全く毛色は違うが、この美しい枯れ方には共感するはず。
ただ過ぎ行く毎日に焦る自分を、人生はまだまだ長いんだ。そんなに焦らなくていいんだよと教えてくれる。
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