映画にもなっている【サイドカーに犬】と芥川賞受賞作【猛スピードで母は】の
中篇2つで出来ている本。長嶋さんの作品は初めて読んだのだけれど、
全体にとても良質な児童文学の匂いがして好感が持てました。
破天荒な父親と大喧嘩して出ていった生真面目な母親。そこに突然現れた謎の女性洋子さんと
薫とのヘンテコな夏の友情が描かれた、サイドカー。職業も付き合う男性も、
どんどん変わっていく母と小学六年生の慎の暮らしぶりが淡々と書かれている、猛スピードで。
共通して出て来るのは、どこか欠落してるハグレ大人。と、彼や彼女らに振り回されながらも、
「大人にも色々な大人がいて、それぞれに事情があるんだ」って事がわかっている子供。
両者の不思議な信頼関係の質感が凄くリアルで好きだった。サイドカーでの、
洋子さんと薫が子供と大人の関係だけじゃなく、女同士で友情を育んでる感じ、
もらったテープの思い出を大切にしてる点。猛スピードの母が、
女手一つで息子を育てる為に選んだ仕事。その職種ならでは、の嫌な場面を見てしまった後
ドキマギする慎と、サバサバした母の対比。さらりとした文体の中に
子供と大人の向き合い方の核心書けてるのに驚きました。今度長編も読んでみたいと思います。
思春期の頃の親や異性や自分に対する葛藤やうまく処理できない感情がズブズブ伝わってきた。ヘドロの臭いや酸い匂いがまとわりつく。純文学を味わうとはこういうことなんだと、鈍りつつあった嗅覚を取り戻した気分。男とか女とか関係なく、必死に生きている人なら誰もが共感できると思う。
リアリティを感じられなくてつまらないと批判する人は、想像力がなく、サクサク読める簡単なエンタメものだけを小説だと勘違いしているからでは?
移動の間だけ、読める本があるといい。
色んな変わった発想で、文章の間を飛んでは消え去る蝶は誰なのだろう。
重ね合わせて透かすと発見があるという、円城塔という最先端を行く作家は栗原裕一郎さんが言っていたように、
日本だけでなく世界に羽ばたいて欲しい。
今までの作品の中でも難解な話だったけれど、最後の結末が泣きそうになる程美しかったです。
850枚を一気に読ませる。
ラストに向かって次第に文章は熱を帯びてゆき、作者が憑かれたようにキーボードをたたき続ける姿が浮かんでくるようだ。
登場人物に憑依されたイタコのようである。
同じ保育園に子供を通わせる3人の母親。
涼子は勤め人を夫に持つ平凡な主婦。子供は0歳児で、育児ノイローゼになる。
五月は売れっ子のモデル。夫と不仲で不倫をしている。
ユカは作家。作者の自画像を色濃く投影させている。夫と別居中で、薬中である。
3人の母親の孤独と苦悩が、それぞれ一人称で順繰りに語られていく。育児の日常を虚飾なしに描きながら、物語は三人三様のカタストロフィへと進んでいく。
しかし最後は、それぞれがぎりぎりのところで、破局の一歩手前で軟着陸する。予定調和的な、いささか安易なエンディングという印象があるのは、最後に来て3人の女と関わる男たちが急に物わかりのいい人間になってしまうせいもある。しかしそれが物語の大きな瑕疵にはなっていない。
読んでいる間、昨年の秋(2011年)に見た園子温監督の「恋の罪」が頭の中で幾度かオーバーラップした。
女性というのは、新しい生命を産み育む母なる大地であると同時に、赤子を引き裂き森を疾走するバッカスの神女の狂おしい破壊性をも持ち合わせている。理不尽で過剰なものをマグマのように内に秘めているのである。性のダブルスタンダード、母性という幻想は、本当はこうした女の部分を封じ込めるための人間の知恵なのかもしれない。
作者が意識上作品に込めたものとは直接関係ないのだろうが、そうした視点でもこの作品は十分読みごたえがある。
余談だが、この作者の薄化粧のときの屈託ない笑顔は、お若いころの瀬戸内寂聴さんに似ている。
淡々と描かれているが、切実と内容、気持ちの整理しようとする心の動き等・・・リアルニアル。 自分自身を押し殺し、する主人公。こういう人います。しかし、最後の方では、<自虐的にそんな自分が可愛く、愛おしく、自分を悲劇のヒロインか?>と意地悪く読みながらツッコミたくなる感情も湧いた事実。 しかし主人公等の気持ちの描写等、アンダーライン引きたくなる箇所、多数あり。
彼女の作品始めて読みました。 芥川賞は、個人的には、自分趣味に偏る読書に幅持たせる為に、受賞作は読むよう心掛けています。で今回の作品。また機会があれば、他の作品にも目を通したいです。
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