「どうも最近の日本はみんな横並びだな」とか,「TVをつければ,いつもどこの馬の骨かわからないグループばっかり出ているな」と感じている矢先に出会ったこの本。
最終的に行き着くところは,現代の日本の政治の「主流」である「議会制民主主義」という言葉の自己矛盾を的確にわかりやすく述べられているところに好感が持てる。
一昔前は,TVでCMを見ると,「あの商品がほしい!仕事がんばろう!」と感じていたものだが,デフレも手伝ってか,「努力しなくても手に入れられるもの」ばかりに囲まれた退屈な社会になってしまった。
それは努力をしない,本書で言うところの「B層」の仕業なのかもしれない。
「今の日本はナンカヘンダ」とか,「もっと民意を!」と感じている皆さん。読んでください。実感することもあれば,反省することもきっとあるはず。ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社プラスアルファ新書)
近年の日本では、小泉政権や、鳩山政権や、減税日本や、大阪維新の会などのような大衆迎合的な政策を掲げた政党が選挙でバカ勝ちする傾向が強まっているが、その理由はどこにあるのだろうか?
この本は、政治学者の大嶽秀夫さんが日本型ポピュリズムのロジックを解くものであるが、特に凄いと思ったのは、著者の大嶽さんが「日本の場合は、テレビがポピュリズムを誘発する最大の原因となっている」ことをはっきりと突いていた所にある。 これは、全国ネットの民放が製作しているテレビのニュースを観れば良く分かるが、確かに近年の日本では、キャスターやコメンテーターが「国会議員の定数を減らせ!」「もっと法人税率を引き下げろ!」などといった、大衆迎合的な主張を平気でしている。 しかも、近年の日本では小泉純一郎元首相や、名古屋市の河村たかし市長や、大阪市の橋下徹市長などのようなカリスマ性の強いリーダーが現れると、テレビなどのメディアが寄って集って彼らを祭り上げようとする。その結果が、大嶽さんの指摘するような日本型ポピュリズムに繋がっているのだと言える。
なお、この本では実際にあった日本型ポピュリズムの事例が幾つか示されていたが、いずれにしろ、政治を良くするためには、有権者一人ひとりがテレビなどのメディアの発するイメージに流されないことが何よりも大切と言える。 だから、この本はそのような教訓を学ぶためのテキストとして、多くの有権者に読まれて欲しいと思う。
著者の渡邉さんは、讀賣新聞グループ会長、そして主筆。半世紀超に渡る政治記者の経験を踏まえ、大連立構想の仲介者を引き受けたり、貴重な提言をしたり、また、その一方、ジャイアンツの機密文章を暴露されたり、話題に事欠きません。 その渡邉さんが今の日本の政治の混迷、経済の低迷を目にし、考察、提言しているのが本書です。渡邉さんが憂うのは、今の政治に蔓延している大衆迎合化(ポピュリズム)です。そして、日本の危機の正体は、さしあたっては経済危機という部分で現れていますが、その実相は政治家に人材が払底していることに他ならないと考えています。 その原因は、小選挙区制度(国会議員の選挙区が区議のそれより小さい)、そして、小泉首相の登場です。小泉さんの政治スタイルは、ワンフレーズ・ポリティックス・・例えば、改革なくして成長なし、自民党をぶっ壊せ、等ですが・・言語は明瞭ですが、その意味合い、内容はよく解りません。そして、小泉政権による市場原理主義・・いまだ後遺症が残っているのは、よくご存知だと思います。 そして、政治混迷期の今、橋下徹の出現です。弁護士でTVタレント出身、橋下さんがもてはやされるのは、既成政党の堕落、そして、TVと電子メディアの活用の巧妙さ、人気を集める天才的能力、最後に大阪が地元というのがというのが大きな要因だと思われます。 渡邉さんは、政治というのは人気取りだけでは立ち行かなくなる(ギリシャがその典型)し、それを助長するマスコミ、TVのあり方に疑問を投げかけています。 渡邉さんは毀誉褒貶の多い人ですが、戦争中の新聞のあり方は、率直に悪かったと認めていますし、その言論にあまりブレはありません。そういう意味で本書の提言は、充分傾聴に値すると思います・
吉田茂は理想の首相として挙げられることが多いが、講和条約における彼の写真を教科書やテレビで見るだけで、それに到る経緯、そもそも彼自身のバックボーンを理解している日本人は少ないのではないだろうか。戦後、日本の将来を憂い、国益を熟慮した吉田茂達がいなければ、講和条約において、巨額の賠償金を背負わされたり、一部国土が失われた可能性も有り得たのではないかと考える。何よりも日本の国益や将来像を最も重要な要素として政治・外交を行ってきた吉田茂は確かに理想の首相像と言える。我々日本人は、とかく戦後史をおざなりにしがちではあるが、「日本独立」という極めて重要な歴史のターニングポイントを知っておく必要がある。本書はそれに役立つ書と考える。
現代政治はもはやポピュリズムの時代といってもいい状況になってきている。 政治手法としてのポピュリズムは蔓延している。 しかし、「ポピュリスト」というのは批判対象へのレッテルとして働いているが、本当にポピュリズムは悪なのだろうか。 民主主義であるならば半ば必然ではないのか。そう問いかける。
ただ、内容としては「ポピュリズムの民主主義における妥当性」のような議論よりも「現代のポピュリズムの事例をみる(ペロンからサルコジまで)」という側面の方がかなり強い。 そういう意味ではタイトルや副題はミスリーディングな気はする。
いろいろと出ており、簡単な問題ではないのはわかるが、いささか話が散りすぎな気がする。 排外主義もグローバル化もポピュリストにはいるわけで、話が強引なときもしばしばの印象であった。
題材は面白いので、もっと理論的な分析を強めるか、逆に事例検証に特化するかした方がよかったのではと思う
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