民間信仰に一つの体系を与える要素としてハレ・ケ・ケガレの観念があると考えられていますが、本書はそのうちケガレ(不浄)に焦点を当てたものです。
本書の親本が出版されたのは1985年であり、収められた論文の基になっているフィールドワークが行われたのはそれ以前の1970年代にまで遡るものがほとんどです。 それゆえにか、文庫版まえがきでは著者も「本書の中で取り挙げた事例はほとんど消失し人々の記憶の中にも残っていない」と書いていますが、たった数十年前の日本でもこんな風習が残っていたのかと驚くようなケガレに関する民俗事例がたくさん載せられていて、それを知るだけでもとても面白かったです。
様々な学説の整理の仕方も上手く、読みやすくて良い文章だと思いました。
歌は世につれ人につれといいますが、まさにそのとうり。当時の社会情勢を知るうえで大変貴重な資料であると思います。個人的には実弾演習中に戦死なされた北白川宮永久王の作詞された駐蒙軍の歌が一番のお気に入りです。
「いのち」たるものが何なのかを掘り下げた本です。伝統的な日本のいのち観がどんなものであったかは記録が少ないため分からないのが正直なところであるが、それを民俗学的検証によって推定しています。そして、その推定結果である古来のいのち観が、近年急速に変化しているとしています。
その変化の理由は、「家」制度が崩壊している事に見出しています。家が守るべきものでなくなった今日、家庭は核家族化が進行しています。核化が進行することで「個人」が重要視される一方、個と個をリンクさせる機能がなくなっているため、継続性が失われている。いのちは代々に受け継がれるものだ、という認識が失われてきている事が最大のポイントだとしています。
いのちの実感が薄れつつある現在、何が大切なのかを考えさせてくれる、優れた一冊です。
著者は法律事務所の弁護士。
日常業務の中で、遺産相続・財産分割に携わることも多い。
一般の相談者に対して、相続の基礎知識、遺産分割の手法を説明するのは、なかなか難しいとのこと…
そこで、『サザエさん』の磯野家を、日本の一般家庭のロールモデルとして説明すると、伝わりやすいことに気付きました。
例として、
被相続人の死亡前に相続人がすでに死亡や廃除・欠格によって相続人ではなくなっている場合は、その子供が親に代わって相続することを「代襲相続」という。
これを磯野家に当てはめると、
波平より先に、サザエが死んだ場合、タラちゃんが相続できる。
ということ。
本書では、敬遠しがちな相続問題の話を分かり易く、簡単に説明してくれます。
また、後半の「遺言書」についての記述も、ポイントごとに順を追って解説してくれます。
「多額の遺産があるならまだしも、私が残せる財産といったらほんのわずか。
もめようにも、もめられないと思うのですが…」
意外に多い意見だそうです。
しかし、著者の言を引用すると、
・「相続」という出来事を言葉を選ばずにたとえるならば、
「宝くじよりも、はるかに高い確率で不労所得が手に入るビックチャンス」
・目の前に無償で手に入る財産があれば、相続争いに発展する可能性は非常に高い
残せる財産の有無よりも、残された家族の関係を維持するために、「遺言の必要性」を説く著者。
その分野に心当たりのある人にとっては、手軽な入門書になるかもしれません。
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