この一年くらいでようやく松尾芭蕉の深さに目覚め始め、岩波文庫の『芭蕉全句集』や講談社の『芭蕉入門』『新・俳人名言集』などを読んだのですが、やはり初学者には何と言ってもこの角川ビギナーズクラシックスが親切で有難いですね。同シリーズから出ている『芭蕉全句集』も購入しました。
他のレヴュアーさんも書いておられますが、本書はまず現代訳がありその後に古文が来て、最後に背景や句の解説、時々コラムという構成になっています。 岩波の句集は本当に句そのものしか載っていないので、よく意味が掴めなかった句が沢山あったのですが、本書を読んである程度句が作られた背景や芭蕉の心情など理解することができたのが嬉しかったです。
それにしても、奥州では、弁慶や常陸坊また藤原忠衝など源義経の家臣たちが尽くした忠義の深さに感動し賛嘆したり、栃木では正直で篤実な性格の宿の主人に「孔子の説いた<仁>に近い、清らかな心の人格者である」と感銘を受けたりと、旅先での出来事に対するリアクションや着眼点から芭蕉さんの誠実な人間観が伺われて、読めば読むほどこの俳人に好感を抱きます(笑)。「世の人の見つけぬ花や軒の栗」という一句にしても、生きることの苦労を知る芭蕉さんの温かい眼差しと、かつ名聞名利からは遠く離れた生き方を志向する高い志を感じます。 芭蕉は一流の詩人であるだけに、人間の有限性・世の無常観と、その無常を強く感じるが故の<永遠>に対する深く透徹した洞察力を有していたと思いますし、<人生は短し、しかし芸術は長し>という言葉の通り−己の俳句を時を越えて生きゆく真の芸術ならしめんとの熱い願いを抱いていたのだろうとも思います。 高浜虚子も「芭蕉の句は<深い>」と『俳句の作りよう』という本の中で言っていましたが、実に実に、蕪村にも一茶にも子規にも当然それぞれの長所、卓越性というものはありますが、やはり<深み>という点に関しては芭蕉に一日の長があるなあ、としみじみ感嘆させられました。
これからも様々の関連本を漁って、芭蕉を勉強していきたいと思います。
普段から部屋のBGMとしてかけている。
厳選された美しい日本語の作品が収録されているため、子供が口にすると、大人びて可愛い。
後世に残したい作品が多いので勉強としてではなく、BGMとして楽しみながら自然に聴くことで頭に叩き込んで欲しいものである。
当然大人が聴いても楽しめること間違いなし。
学生時代に嫌々憶えた記憶のある方も懐かしいワンフレーズとして心地よく聴けると思います。
非常によい本だと思います。
僕もこれまで,年代配列順の「ふつうの」芭蕉俳句集を読んでいました。 しかし,年代配列順かつテキストクリティックの徹底という方向性, すなわち,文学という学問としては正統な方向性が, 芭蕉の「ことば」に近づくことを難しくしている― ―そう感じることが,素人の僕には,しばしばありました。
本書は芭蕉全句が季節および季題別で分類されています。 現代語訳も親切かつ読みやすいです。
芭蕉を新鮮に読むことができます。手放せない本です。
この岩波文庫は、松尾芭蕉の代表作の「おくのほそ道」の全文のあとに、その旅に同行した曾良による旅日記と俳諧書留・江戸時代の芭蕉研究家の蓑笠庵梨一による注釈書「奥細道菅菰抄」・芭蕉宿泊地及び天候一覧・おくのほそ道行程図・主要引用書目一覧・発句索引、地名及び人名索引・解説と、本文が七十ページほどなのに比べ、その後に二百ページを超える付録のついた構成になっている。もちろん主役はおくのほそ道本文で、付録を読むことで本文のよさや松尾芭蕉の創意が改めて見えてくる、という効果がある。
本文を読んでいくとすぐに気づくのは文章の流れていく心地よさで、言い過ぎたり言わな過ぎたりすることがなく、和歌の詞書や歌物語の形式をさらに滑らかにして具体的にしながら文の余韻も残しているのが心憎い。蕉風の俳句というもの自身がそんな風情を持っているというのは文学史の著作で読んだことだが、実際に読んでいくとそれが体の感覚でも感じられるようだ。情報としての文章には全くない気持ちよさがあって、こういうのを文芸というのだろう。
内容についてみるとそれは東北の歌枕を巡るという趣向で、古人が立てた表象世界を芭蕉自身が受け取って自らの視点から世界を再制作するという試みが、さまざまな文章を彫琢する努力を続けていたという芭蕉の筆によって最初から最後まで貫かれている。人の生きることのはかなさ・いじましさ、自然の強さと変わらなさ、生きることへの執着と死への畏れ、そんな世界への愛しさ、その文と俳句は短い言葉で読む者を広くて静かな境地へと連れて行く。それは明らかに文芸的創作物で、この作品に対して、当時の真実の東北の姿を捉えていないという批判は、真実とは何かをおくにしてもある意味もっともだと思う。しかしたった今生きている自分たちであっても幾分は自分の見方で世界像を作り上げているのが実際のところで、その世界像のせめぎあいで暮らしが進んでいくのであってみれば、文芸もそのせめぎあいの毎日の中で自らの世界像を示すのは自然のことなのだと思うし、ここで描かれている世界像、その方法としての紀行文及び俳句は相当の深さのあるものだと思う。付録を読むにつけ、一見散文的な旅の中から詩情を濃厚に立ち上らせるさまがしのばれてくる。
一度は通して読んでみるといいのではと思う。
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