あの伝説的ロック・バンド『頭脳警察』。ロックが若者の反抗、社会批判を、過激で暴力的な表現で代弁していた昭和40年代半ば、PANTAとトシにより結成された彼らは、赤軍三部作といわれる「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃を取れ」の、赤軍派に触発された曲を演奏し、他の曲もラジカルな批評性の元に、日本語歌詞により独自の世界を作り上げ、ロックの中でも突出したバンドとして、圧倒的に支持されていた。彼らの演奏は世界に先駆けたパンク・ロックだったのだ。昭和40年代の終焉と共に解散したが、節目節目に再結成と解散(自爆)を繰り返している。
その『頭脳警察』のドキュメンタリー映画である。3部構成で、合計5時間15分もの大作だ。2006年から2008年まで、PANTAのバンド活動から頭脳警察の再始動に至るまで、彼らに密着して撮影されたものだ。先回りして言ってしまおう。この映画は頭脳警察が存在する時代のドキュメンタリーであり、再始動・頭脳警察のプロモーション・ビデオであり、頭脳警察・再始動のメイキング・ビデオである。そしてその背景には「戦争」という各々の時代の刻印が、はっきりと浮き彫りにされているのだ。
1部は結成から解散までの軌跡を、映像やインタビューを交えて纏めている。
2部は従軍看護婦として南方に派遣されていたPANTAの母親の軌跡。そして重信房子を介してのパレスチナ問題への関わりが中心となっている。優に二本分のドキュメンタリー映画が作れてしまう内容だ。
3部は各々のソロ活動から頭脳警察再始動に向かってゆくPANTAとトシ、そして白熱の京大西部講堂での再始動ライブへ。
ベトナム戦争から、赤軍派の世界革命戦争へのシンパシー。大東亜戦争当時、病院船氷川丸での母親の軌跡を、船舶運航記録によって、戦前戦後を通底する時間軸に己が存在する事を、PANTAが確認する辺りは圧巻である。そして中東戦争とパレスチナ。現在のイランなどに対する「対テロ戦争」という名の帝国主義戦争。なんとオイラと同じPANTAの世代は「戦争」の世代ではないか。
頭脳警察はその政治性によって語られる事が多い。しかし、本来はその存在や演奏自身がより政治的な意味合いを持っていたのだ。その事を自覚することにより、PANTAは「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」と言うのだ。重信を通してパレスチナ問題に関わることを、落とし前を付ける、と言うのも、かつて赤軍三部作を歌い、赤軍派にシンパシーを感じた自分自身に対することなのだろうと思うのだ。
このアルバムを聴く度になぜかピーター・ゲイブリエルのサードを思い出す。
比肩する物のない毒の有る歌唱は時代を乗り越えている。
「青森県北津軽郡東京村』はチンドンを演奏に加えながら壮絶にロックしている。
カラオケにはない、テレビラジオでは聴けない名盤。
ドラマに使われたのは2曲だけではないので、
下の方が、どの2曲のことを言ってるのかはわかりませんが、
僕にはすべての曲が心に響きました。
いろんな要素が絡まりながら何にも似ていないように思えるオリジナルなメロディー、
自分の墓穴を自分で掘ってるかのような、
誰にも寄りかからず、だけど根源的なところで人を求めているかのような
重層的な歌詞。
ただ流しながら聞いてもいいですが、
引き込まれながら、自分と向き合うために聞くと、
さらに世界が広がる素晴らしいアルバムだと思います。
ドラマ「深夜食堂」のオープニング曲を聴いて魅了されました。
そして、鈴木常吉さんのブログ「ふかふか日記」を読んで、
人柄にも惹かれて即購入しました。
「思ひ出」のイメージでアルバムを聴くと、最初、え〜何これ?
と思いましたが、聴くほどにどの曲も不思議と心に染みてきます。
日常の雑事や世の中の理不尽なことで心が波立つとき、
常吉さんの歌を聴いていると、荒波がすっとひいておだやかな
気持ちになれる、私にとってはリラクゼーション音楽となっています。
聴く者を包み込んでくれる、とても包容力のある歌うたいさんです。
自らの曲を怨歌、と称するにふさわしい情念に満ち溢れた名盤。
今のシブい三上寛の味、もなかなかいいが、若さゆえのルサンチマンはこちらのほうが上です。おすすめ。
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