「90年代がフラッシュバック!! 32曲で3150円!!ミリオンセラー20曲!!!」のコピーに思わす手が伸びゲットしたが、これが予想以上に素晴らしい!!!! 全曲、タイトルをなぞるだけでそのまま歌えてしまうし、当時のカラオケの映像までもが、まさにフラッシュバック。超ド級ヒットが皆無の昨今では、この32曲のスーパーヒット曲群の時代のパワーにも圧倒されてしまう。チャゲアス「YAH YAH YAH」で力強く&華やかに幕を開け、バブルガムの「WON'T BE LONG」でメガヒット咲き乱れ宴会に大団円を迎えさせた収録構成は、“あの時代”を分かっている人の選曲だね。ロマン飛行な90'sに乾杯!
南国ロケなので、すぅちゃんがけっこう汗かいてます。 衣装は全体的に肌露出多め。華奢なので、ある種イタイタしさが漂います。 密着度も高め。シーンによっては毛穴まで見えそうなほど。
そういうフェチ的な目線で見たら楽しめました。
1960年生まれの僕にとって、親の世代から口癖のように聞かされてきたのは、「戦争の悲惨さを語り継ぎ、二度と戦争を起こさないようにしなければ」という話でした。「戦争」とは?? 太平洋戦争=大事に世界大戦です。そんなことも注釈しておかなければ習いほど、長い平和が続きました。それはと手もよいことです。
そんな中、若い世代にとって「オウム」が風化しつつある、というか、そもそも知らない人が多くなった、ということに気づき、最近、危機感を感じています。地下鉄サリン事件が1995年3月。今の大学生が生まれたのが1990年頃。つまり、大学生世代にとっては、地下鉄サリン事件は「物心つく前の、歴史上のできごと」なのですね。
アレフが正体を隠して勧誘を始めているという話も聞きますが、正体を隠さなくても、オウムが何をしたのか、知らない大学生が多いということです。
では、オウムが事件にまで至った心理的、社会的なメカニズムとは何だったのか、解明されているのかといえば、これが心許ない。
かつて、麻原彰晃の弁護団を担当した弁護士が「麻原を死刑にして、それで済むのか」(渡辺 脩)を著しましたが、そこで提起した問題も、「死刑先にありきで裁判をやっても、麻原と教団がなぜ事件を引き起こしたのか、度すれば防げるのかは、何も解明されない」という危機感そのものでした。改めてその問題提起の大きさを実感します。
さて、本書、「二十歳からの20年間」はオウムの元・女性信者が生い立ちからオウムにはまり込んでいき、なかなか出てこれなかった心の変遷を詳細につづったものです。彼女が本当にオウムを脱却できたのか、という興味で読み始めたのですが、彼女の自身の心に対する分析が興味深く、そこから「オウム的なものとはなんなのか」がクリアに抽出できそうだったので、これはなかなかよい本だと感じました。
オウムに入る前に彼女が抱えていた心の問題は、一見特殊に見えますが、全体を読んでいくとそれは、ちょっと感受性のつよい人なら誰にでも起こりうることであることがわかります。そしてその心をオウムがどのように利用し、どのようにオウムに従属していったのかが明解に見えてきます。ここまでセキララに、しつこく、誤った進行にはまり込んでいくメンタリティを記した本を僕は知りません。この点に、本書の大きな価値がある。
その一方で、詳細に個人の心を追ったために、繰り返し同じような内容が書かれていたり、克服できずにいつまでも抱えて、何度も同じ問題に躓いたり、というあたりが、だらだらした印象になるのも事実。でも、容易に克服したり、気づいたりできないことなのだということをしみじみ理解するためにも、このしつこさは必要なことなのだと感じます。
僕らのような、オウムのリアル体験世代は、若い世代にオウムの悪を語り継ぐ役割があるのだと思います。そのためのよき材料として、本書を多くの人に読んでもらい、そこに自分のオウム体験や理解を加えて、若い世代に伝える(嫌がられても)必要があるのでしょう。でないと、再び日本からオウム的なものが生まれない保証はありません。(by paco@<おとなの社会科>)
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