フジテレビ制作ということで80年代後半の高島忠夫のゴールデン洋画劇場でよく放送されていたので見た人も多いかもしれない。竹取物語をファンタジーSFに解釈した作品だが、ほとんどは普通の時代劇だがラストでいきなり未知との遭遇チックな宇宙船が現れる唐突さは半端ない。竹林が風にそよぐインサートシーンとかの映像は美しいのだが、肝心の話自体は陳腐の一言。主題歌はシカゴのピータセテラだが、この主題歌自体は名曲だが、この曲とベストキッド2の主題歌であるGlory of Loveがよくゴッチャになり一方を思い出すと片方が思い出せないというか一緒の曲になってしまうのだが、こちらも同じピーターセテラの楽曲だと後で知って納得したものだ。
絵柄に魅了されて購入しました。 金曜日に届き、土曜の朝から初めて日曜の昼に無事終了しました。 時間にして20時間でしょう。 土曜日は集中のし過ぎで、ほぼ時間の感覚がないまま終わりました(笑) ただ、絵柄で分かるように全体の半分近くが空です。外枠やかぐや姫、天からの遣いは出来るのですが作業の半分近くが空に費やしました。 最後あたりはもう一つ一つ向きを変えながら合わせていき、何度も挫折しかけました。 せっかくの休日になにやってるんだと思いましたが、いざ完成したら両手を上げて喜びました。 そして完成後に見た美しさにがんばったかいがあったとも思いました。 最近なにかを成し遂げた回数が減っていたので満ち足りました。 額縁とあわせると少し高いですが、挑戦する意味はあると思います。
キリスト教国では聖書の記述は新訳であれ旧約であれ、文明のバックボーンである。
日本は独特の文明を有するとされているがその起源はなにか、多くの論者は古事記や日本書紀の記述を重視する。ただ、どうしても神話や伝説の世界はそれを編纂した者のの立場や主張に左右される。その編纂を命じた者に不利なことは書けないのだ。
しかしここにもう一つの考え方を提示したのが本書の特色である。かぐや姫は妻問いの物語だが、その経緯は時代の権門の本質を反映しその矛盾をあらわにする奇怪なものである。たしかに貴公子達の滑稽な姿は物語の幅を広げ、現代に通じる人間味を感じさせる。しかしなぜ、かぐや姫の作者はそのような描写をしたのか。
シンデレラストーリーなら王子様に見出されたシンデレラは素直に求婚に応じめでたしめでたしなのに、なぜかぐや姫は月に帰らなければならないのか。
アマテラスはタカムスビから神の最高位を引き継いだが、これはアマテラスの後裔たる天皇家が日本の主となることと直結している。つまり9世紀という日本が中華文明から独り立ちして独自の文明を構築する過程が物語の背景にある。
…ということが書かれているのだが、なんともわかりにくい構成になってしまっている。多分、終章を最初に読んで第3章、第4章、と進み、第1章、第2章、第5章と読んだほうが分かりやすい。
ただ、そのうちこの本は古典になるかもしれない。
かぐや姫の物語は、求婚者への難しい問題を与えるということでおもしろい物語となっている。原文のストーリは、とても子供向きとは思えないのだが、 かぐや姫が月に帰還するというSF的な要素が好かれている。 しかし、いったんこの物語を学問的に研究するとその時代の状況がよく見えてくる。 難問を出された皇子が誰をモデルとしているのか。天皇が求婚しているのに、なぜ月に帰還することができたのか。等々がこおn本の中で明らかにされている。 蘊蓄が好きな人には、かぐや姫をおもしろく語れる種本になることは間違いなし。 それにしても、天皇夭折を正当化するために作られたという仮説には驚くしかありません。
とても綺麗なパズルです。暗いところでも光るところがとても幻想的です。
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