傑作としか言いようがない。UKニューウェイブやクラウト・ロックの影響を受けながら、ペイヴメントやレディオヘッド、フレイミング・リップスにコーラルなどのオルタナ以降のこだまも響かせたうえで、つかみどころのない、なんとも面妖なセンスのロックを聞かせてくれる。コックニー・レベルにも通ずる哀感と、ワン・コードで押し切るがむしゃらな力技が、まだうまく混ざりあわず、いびつに同居しているところも、得体のしれない大器を感じさせる。とにかく最近の新人ロック・バンドの中では秀逸で、もしかしたら将来、ソフト・ボーイズに迫るくらいに化けるかもという予感も感じさせる。
ウィン・バトラーのいい意味でのポップセンスは当代1である。 彼は2010年現在の未だ生きのいいバンドの中で、一番まともな曲が書けて、一番唸らせるアレンジが出来る。
アーケイドファイアは、日本にあまり来ない。 彼らのようなインテリ系バンドは英米問わず、日本を割と重要視する傾向がある。 もちろん何よりマーケティングの上で日本市場は重要であり、親日(笑)という軽薄な言葉で表せるようなお話でないのは事実だが、それにしてもウィンは余り日本に興味がないように思える。
カナダのこのバンドのテーマは(日本人のリスナーの果たして何割が理解してるのかは微妙だが)、簡単に言えば「白人による白人解体」だと思う。 だからこそブッシュの残り香があった05年にブレイクしたわけで、ネオン・バイブルってのは、もうまさにまさにだし、そういった知的レベルの高い白人芸術家層特有の「罪意識」を最大限に増幅させて、それを掲げて戦うバンドである。そりゃ評価うなぎのぼりですよ。
同時に、日本人を含め有色人種が、彼らの音楽に詩の面からあからさまに感情移入するのはムズかしい。というか無理である。 白人に儒教に関した対立をテーマに作品を作ってもウケないし、理解できないのと同じ。
まぁ、しかしこれは音楽だ。音楽は、よくもわるくもそういった思想性から乖離して人に届く側面もある。 だから日本人もこれを楽しむことは出来る。彼らのキャリアで一番シンプルかつエネルギッシュなこの作品を、楽しもう。
前作「Funeral」」に続く、Arcade Fireの2ndアルバムです。
まずはっきり言えるのは、コンセプトアルバムであったFuneralとは
全く別のモノ、だということです。
今作は、一曲一曲が小作品として並べられている、といった印象です。
不穏な雰囲気でアルバムのオープニングを飾る「Black Mirror」、
はねるリズムが新鮮な「Keep The Car Running」、
シングルとして先行された、パイプオルガンの音色が印象的な「Intervention」、
インディーズとして既に発表済みの名曲のリメイクである「No Cars Go」など、
聴き所は多く、全体的に聴きやすい作品です。
ただ、前作のように一貫した雰囲気を持つアルバムを望んでいた人には合わないかも知れません。
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