いままでのきよしくんの作品では初めてのDVDつきの
「初回限定アルバム」
かなり前のコンサートから「いいものができました!」と
報告してくれていただけあって、選曲・歌唱から添付のお楽しみ
写真集まで気合充分の出来上がりでした。
一年前の「演歌名曲コレクション5」の明るいイメージとは
また違った味わいの、ちょっと渋さが加わった造りに、
デビューから7年、常にトップを駆け抜けてきたきよしくんの
自信も見えてきます。
若木が大地にしっかりと根付いたような、骨太なアルバムで
女性シリーズをいったん休憩したことで、等身大の凛々しい青年像が
浮かび上がり、「青龍」「白虎」に続く「朱雀」がより輝いて
聴こえてきます。
DVDもピクチャーレーベルで、もうそれだけでも嬉しいですね。
歌に、映像に、写真に、なんともいえないオトコの色気も感じます。
ファン大満足の一枚といえるでしょう。
今年後半、このアルバムで雄雄しく羽ばたいて欲しいと思います。
7つの連作短編が織りなす、複数の男女の静かに歪んだ日常の物語。
1997年に『バニシングポイント』の表題で単行本化されたものを、初出時のタイトルに戻して再刊行されたとの由。
文章の技巧派である佐藤正午の筆が紡ぎだす世界にとにかくどっぷり浸りたくて手にしました。ですから連作短編であることも知らず、それぞれの作品の間のつながりも見えぬまま頁を繰ったのです。
主人公たちは互いに見ず知らずの仲で登場し、そのまま深く切り結ぶこともないまま物語の中を歩んでいきます。彼らは時たま思わぬ接点を得るのですが、それは「袖触れ合う」程度の淡い関係です。
今年2011年に出版された佐藤正午の新作小説『ダンスホール (テーマ競作小説「死様」)』の端緒がそこにあるように思われます。その書評で私は「『六次の隔たり(Six Degrees of Separation)』が人に生きる力を与える物語」と書きました。
ただし『事の次第』のほうはむしろ、やはり六次の隔たりの仲にある男女が、どこか生きる気力を失っているようにも思えます。
「別に一刻も早く死にたいと思っているわけではないし、妻や子供たちを大切に思わないわけでもないのだが、彼は心のどこかに、この世にたいした未練があるわけではなく、自分はいつ死んでもかまわないのだという覚悟を眠らせているのかもしれない」(「寝るかもしれない」39頁)
「どうせ死ぬのなら一息に確実に死にたいもの、今日か明日というわけでもないんだけど、いつ死んでもいいと覚悟を決めているから、そのときが来ても迷わないように、毎日散歩がてら歩き回って適当な建物を探してるの」(「そのとき」75頁)
このように彼らは生の気力をたぎらせる場を日常の中に見出せずにいるのです。
しかし思えば、日々そうした気持ちをみなぎらせながら生きる人はそれほど多くはありません。人々はケの日を普段生き、運がよければハレの日をたまに迎える幸運にも恵まれる。うるさくもなく、また終わりのない日常を人々は倦むこともなく生きる毎日なのです。
そんな人々の姿がつまった7編に、妙に心惹かれる自分がいることに気づかされます。
収録語彙が一般名詞に偏っており、動詞、形容詞等はほとんど収録されていません。 また、政治、経済、時事用語など抽象度の比較的高い名詞が不足しており、教科書、新聞レベルをカバーできません。 欠点ばかり並べてしまいましたが、類書と比較すると、日本語50音順の索引がある点は便利で評価できます。
「燃えるお兄さん」で人気を博した佐藤正先生の作品。ミリンダという学習能力を持つ女の子ロボットを中心に、様々な日常を描き出していく。ギャグの見所としては、知能が上達していないミリンダの行動、そして佐藤先生の別作品「デカメーン」にも登場するデカ長のリアクションでしょうか。ジャンプでは惜しくも打ち切りとなってしまった作品ですが、ロボ好きの作者が書いた作品ですからオモシロイこと受け合いです。ぜひ読んでみてください。
バンコクに留学して早や半年、ここではいろいろな教材を買い込んでの学習の毎日。でもどの本もタイ文字が見にくく、内容も中途半端! 久しぶりに帰国した本屋で見つけたこの本は当たりです。とにかくタイの生活の実情にそった言葉が集められてて、今では愛読書の1冊。内容は中級程度。
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