街の変な光景を(繋がってない階段とか高所ドアとか)写真に撮って、ツッコミを入れてる…ってジャンルの本ですが。 写真の撮影は80年代です。
トマソンどうこうより ただ20年以上前の日本の町並みが味わい深い。 昔は日本ってこんなに汚くて杜撰で適当な建築物に溢れてたよねー。
文章も住所が番地まで出てるわ原爆だ障害者だ今の感覚では凄い文句がばんばん出てるわで趣深い。言葉狩りには反対の筈なのに、今の風潮に毒されてるなあ私。
爆笑とかじゃなくて、しみじみ良い本でした。いい文章だなあという感想。飽きずに読み通せた。赤瀬川さんの文章好きだ。
いやあしかし表紙の写真に尽きるよ… なんかの合成かトリックと思い本文読んで、足の裏からぞーっとしました…
メンバーが素晴らしい。赤瀬川源平さん。何者なのでしょう。この人は…。「知るを楽しむ」でもこの人はフツーの人だな、と最初は思いましたが、感性と努力と面白さがあり、非常に不思議な方です。兄弟で作家であるし、友人の人も面白い。芥川賞作家でありながら、芸術家であり、前衛芸術もする。一方で老人力などという不思議な発想をされ、ベストセラーにする。一番の偉業はトマソン学でしょう。本書のすごさ、本当に何気ない日常から物事を見る。マンホールの蓋、四谷の純粋階段、看板建築。一体何の役に立つのか、この不思議の研究を続けているが、純粋に面白い。奇妙なことをやっているが、やはり面白い。夏にたてもの博物館に行った際に、この学会?の方の展示会があり、やはり爆笑ものでした。さまざまな看板、不思議な表現がある。月刊のJAFにも変わった標識を紹介しているが、この本の影響を受けているのでしょう。世の中本当に面白いことだらけということを感じさせてくれます。タモリ倶楽部的でもあり、楽しみは尽きないですね。
新明解国語辞典は持っていたんですが、気付きませんでした。こんな面白い世界があったんですね。そういえば国語辞典ってあんまり使わなかったような気がします。
個人的には英語の辞書の挿絵が好きで、調べもせずよく眺めていました。挿絵は研究社のものがお気に入りでした。
辞書や百科事典を読破すれば、全てのことが分かると思っていた頃が懐かしいです。
因みに学生時代に使っていたドイツ語の辞書の訳語は下ネタになると九州弁になっていました。定評のある辞書だったのですが、ドイツ語教師は訳が下品だと言っていました。
本書は新解さんのことは半分しかありませんので、興味がある人は本書でSM嬢として紹介されている鈴木マキコこと夏石鈴子さんの本に進んで下さい。実は、新解さんの発見はこの方の功績です。
赤瀬川さんが日本各地の魅力ある個人美術館を訪ね、その成り立ちを取材するとともに、所蔵作品を鑑賞していく一冊。雑誌の連載をまとめて再編集したものだそうです。45の美術館が豊富なカラー図版付きで紹介されていて、赤瀬川さんが寸評を加えている作品は、だいたいその写真も載っています。
「個人美術館」には二通りの意味があって、ひとつは一作家単独の作品群からなる美術館のことで、もうひとつは私的な一個人のコレクションに由来する美術館のこと。赤瀬川さんはそれらの美術館が創設されることになった発端に関心を寄せ、来歴にまつわる数々のエピソードを通じて、美術館の礎を築いたコレクターや画家たちの人柄と人生に思いを馳せていく。
赤瀬川さんの語り口は自在かつ率直で、緩やかに作品をとらえていく文章は平易で親しみやすいけれど、そこには同じ画家としての批評眼に裏打ちされた実感がこもっている。
また、建築物としての美術館にもスポットが当てられていて、外観や内装、展示室の様態などが来館者の視点から語られている(入口で靴を脱ぐかどうかの違いにも着目している)。美術館が立地する周辺の環境についても触れられているので、写真とあわせて、美術館のことをよりイメージしやすかったです。場合によっては、美術館へのアクセスの段階から記述がなされていて、現地に不案内な赤瀬川さんの様子が時に垣間見えて、それも本書の楽しさの一つになっている。他にも随所に赤瀬川さん独特のユーモアが感じられ、リラックスしながら読んでいけます。
つい続編や海外編を期待してしまうくらい、本書の内容はとても充実していて面白かったです。
【地方別収録美術館数】九州地方:3館 中国地方:7館 四国地方:3館 近畿地方:7館 中部地方:10館 関東地方:15館(※東京から最多の7つ、次いで愛知から5つ選ばれていました。)
やや古い話ですが、W杯。 ジダンの頭突きを見たとき、僕はとっさに利休のことを思い出していました。 ジダンのプレーは、あんな振る舞いに及ぶテンションを抱えているから、ジダンなのでした。利休の、例えば宗堪との茶席での乱暴な振る舞いは、或いは利休の仕事のテンションの発露だったのかもしれないと思ったのです。 彼の作った茶杓を他のそれと見比べれば、その緊張感が図抜けていたことが分かります。
この本、茶の湯に関する赤瀬川さんの解釈が、赤瀬川さんの比喩によって解説される本です。茶の湯はホンモノとして400年以上の風雪に耐えていますが、ゼンエイの時代の人だった赤瀬川さんは、ご自身のなかで前衛をどう位置づけていたのかも、彼らしい天才と風通しのいい笑いと、ちょっぴり痛ましい共感を伴って感じられます。
路上観察の視線が、茶の湯の感性に重なることに気づく辺りの文章は感動的でした。ゼンエイに閉塞感がついてまわるのは避けられませんが(笑)、この発見はほとんど活劇的です。読んでるこちらも、血沸き肉踊りました。
センスの世界だったはずの茶の湯の間口の広さを、赤瀬川さんは見せてくれました。名著です。
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