もう狂ってますね。あまりのバカバカしさに、ただただ笑うしかありません。作者はそれを狙ってるんでしょう。これぞポルノです。当方もポルノにまともなドラマなんか期待してないし、そんなものは作ってもらいたくもありません。
そもそも私は日活ポルノが嫌いです。初めて見たのが田中登さんの「女教師」。日劇文化に新作封切りの「北村透谷わが冬の歌」を見に行ったら、どういうわけか二本立てだったので、まったく見る気は無かったのに、渋々鑑賞。なんじゃこれ?って感じでしたね。ただの青春メロドラマだってえのに、15分に一回くらいの間隔で5分程度のあれのシーンが入るので、鬱陶しいッたらありゃしない。でも当時から田中さんは一部のマニアの間では評価の高い監督だったので、実力のほどをこの目で確かめてみようと、銀座並木座に「マル秘色情めす市場」と「実録阿部定」がかかった機会に見てみたんですが、なんだかなあ。「めす市場」は面白かったですよ。もっとも、映画としてではなく、大阪の、一般の人がビビって行かない場所でわざわざロケーションした、ってところが面白かっただけですが。「実録阿部定」の方は、すでに「愛のコリーダ」を見た後だったこともあるんですが、最初から最後まであればかりの「コリーダ」とは違って、人間阿部定をきちんと描こうってところが、かえってまどろっこいのよ。真面目な人なんでしょうね、田中さんは。
ポルノの枠の中でなんとか普通の映画を撮ろうとしていたのが田中さんをはじめとする他の監督たちなら、ポルノの枠の中でスケベを究めようとしたのが神代さんですね。
だから私は、神代さんのポルノだけは好きなんです。全般的にいやらしいですよ、あの人の映画。逆に、いやらしくない神代さんの映画はつまらんですね、原田美枝子が出たやつとか。
ひさうちみちお氏を語る上で、やはり外せないのがこの美しさのある線であろう。その他にも”宇宙大作戦”といったような独特な解釈によるエロティックな世界も魅力ではあるのだが、本作品はその両方を兼ね備えていながら、耽美的、神話的な話も収録されている所をみると、ベスト版といいた感じではないだろうか? ひさうちみちおの線フェチには、たまらない一冊だろう。
有名な京都の”ぶぶづけ伝説”。京都人である著者が、そのあたりの事実と京都人の本音を分析してみせた本。「言わなくても察する(あるいは、察しなさい!?)」「あからさまに表現するのははしたないから、婉曲表現で人を傷つけないように」というのは日本人全体の傾向だと思うが、京都の文化や人間関係はその最たるものだろう。その表現の仕方は全国平均よりもさらに曖昧なので、他府県人が悩むということになる。それは常に外から侵略され、時の支配者の顔色を伺い、媚び、またはしたたかに取り入り、生き延びてきた京都人の知恵と著者が言うのはその通りだと思う。 わかりにくいその雰囲気が、いくつも実例をあげて説明されている。特にご自分の弟さんのエピソードは特筆ものでわかりやすい。遠慮もなにもなく、あつかましく自分の欲求だけで親戚の家に押しかけていた彼が、おばさんからやんわり、しかも強烈に復讐?される話はなかなか怖い(笑)。本の帯に出ていた「訪問してコーヒーをすすめられた時、本当に受けていいのはどの言葉を言われた時か?」という話は京都人の言葉裏を表す典型例で、このコミュニケーションを理解するのは至難の技だが、京都を訪問する、または住む予定があるのなら、おぼえておいても損はないと思う。 しかし、である。この独特のやり取りは、実は京都人自身にとっても悩ましい問題なのだ。全国的にいろんな性格の人がいるように、京都人も千差万別である。私などもどちらかと言えば京都人ばなれした?タイプのようで、子供の頃から母親に「またあのうちに遊びに行ったんか?あつかましい!遊びに来てて言われても、行ったらあかんて何度も言うたやろ!」と怒られていたクチである。友人の中にも「京都のぶぶづけなんて、今時もうないよね?」と言ったら、「何言うてんの!しっかりあるよ!」と怒られた人がいる。勉強や転勤などで数年京都を離れていれば、現地適応してたちまちその感覚は鈍ってしまう。お隣の大阪などは逆に率直にものを言う方で、ご存知有名なボケと突っ込みなどもあるので、通勤通学していれば両方に適応するのもまた大変である(自分も最初は大阪に適応するのが大変だったが、今ではすっかりそちらのフランクな人間関係の方がありがたくなってしまった。) この本はひとつの文化を理解する参考になるけれど、かといって、京都へ行った時、これ一冊で万事OKというハウツーものにはならない。まず、ここに書かれているのは超トラディショナルで奥ゆかしいものすごく典型化された京都人の精神性だからである。京都の婉曲表現を理解するのは至難の技であるし、また京都人全部がこの通りに日常を送っているとは限らないと思う。中には本気で「遊びにきてね」と言っている京都人もいて、この本を読んでへんに疑心暗鬼になって、チャンスをのがしてしまうということも有りえる。著者は誇りを持って”いけず”文化を美徳と捉えているのだが、自分は同じ京都人でも、正直言って、憂鬱でめんどくさくて陰険だと思ってしまうことが多い。この本は、ゆかいなエピソードに爆笑し「う〜ん、やっぱりわからへんわ。」と首をかしげながら、軽い気持ちでサラっと読み流し楽しむのが一番いいと思う。
これは大人の本音と現実の人間関係社会の矛盾をどうやって調整しあって、摩擦を起さずに泳いでいくかを丹念にガイドした本である。
また人間関係上起こりうる矛盾に、腹を立てずにどうやって付き合っていくかもきちんと説明されている。
三分の二が実践ノウハウ、三分の一がユーモアの構成、しかも挿絵がそれだけでも独立してもおかしくない含蓄のあるメッセージと「大人の」おかしさを十分表している。
これを読んでいると一人でクスクス笑っている自分に気付くので、公共交通の中で読む方はご注意。エンターテインメント読み物としても下手な小説やフィクションよりはるかに面白く、満点に近い。その面白さは我々が常に直面している事柄に沿って書かれているからだ。
思うに著者は非情なまでの現実主義なのにそれを押し付けることなく、たんたんとユーモアを交えながら説いているので、お仕着せとか説教くささを全く感じないのは、著者の同時に持つ優しさのせいかもしれない。
男爵、役者見習いに吸血鬼まで虜にしてしまう
妖艶な美貌の持ち主の男性主人公キッドに翻弄される周りの人々、、
しかもお相手は全て男性。
かと言って内容は決して昨今のBLを彷彿させる様な展開では無く不条理な仕上がりとなっています。
そこがガロ系だな、、と感じます。
キッドは漫画内で一言も喋りません。
台詞が無いのです、彼と関わった者しか台詞がありません。
彼の行動には自由奔放で自分勝手すら見受けられます。
そこが読み手としていったいキッドとは何者なのか、、キッド自身は自分と関わった人を
どう思っているのだろうと考えてしまいます。
台詞が無いからこそ妖艶さが増して来るのかもしれません。
作者のひさうち先生は男性ですが良く男同士のからみが上手く描けるなと感心してしまいました。
全1巻なのですがまだまだキッドの妖しい魅力を存分に味わいたい私は
続きが欲しいくらいです。
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